ヤマハYH-5Mレビュー「十分に低歪率で、十分にフラットな高帯域特性で、そして結果的に素晴しく豊かな音」

1978年発売のヘッドホン、YAMAHA YH-5Mを入手しました。
もう30年以上も前の製品ですが、その卓越した機構設計と、いまでは散逸したオルソダイナミック型技術を採用した事で知られるヘッドホンです。
ネット上を見ていても詳細な音質レビューを見かけることが有りませんので、少しレビューをしてみたいと思います。



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1978年というと、まだまだ冷戦真っ盛り、ベトナム戦争の終期を画するサイゴン陥落から3年しか経っておりません。
オーディオにおいてはCDの登場まであと4年を要し、アナログオーディオの時代でした。
Eugen Beyer(ベイヤーダイナミック)によるステレオヘッドホン(DT48)開発からは41年、ゼンハイザーによる初の開放型ヘッドホン(HD414)開発から10年が経過しています。

1976年ヤマハは競合他社に先駆けて平面駆動型(動電型全面駆動方式)ヘッドホンHP-1を国内市場に投入。
自社の方式をオルソ・ダイナミック(Orthodynamic)型と呼称します。
HP-1はオルソダイナミック型としての音質も然ることながら、マリオ・ベリーニによる優れたデザインで好評を博し、以降70年代を通して、ヤマハは市場に対し高級ヘッドホンを相次いで投入して行くことになります。

通常のダイナミック型スピーカーは振動板(発音体)をコーン(円錐)状に立体成形し、これをコイルと接続させ、振動板の下においた永久磁石と反応させて音を出します。
しかし、この方式はコーン(円錐)の中心点から振動を拡散させるため、振動板の材質、永久磁石の磁束密度如何によっては、音に遅れを生じ、入力信号の適切な再生を行えませんでした。いわゆる分割振動問題です。
この問題は特に細やかな振動、すなわち高帯域において顕著でした。
通常のダイナミック型における問題解決には、新たな振動板素材の開発や、高磁束密度を誇るネオジウム磁石の登場を待たねば成りませんでした。

この問題についてオルソダイナミック型は、振動板を平面とした上、コイルと接続させてその両面を永久磁石で挟み込むことで対処します。
平面であれば振動は中心から拡散するのではなく、その全面に渡って即座に再現されます。どんな周波数帯域の振動であれ瞬時に伝播されるため、根本的に音が遅れるということが無いのです。
同じように振動板を平面にしたものとして、STAXに代表される静電型(コンデンサー型、エレクトロスタティック型とも)方式があります。こちらは電圧により発音体を駆動させる方式でした。
一方、オルソダイナミック型は通常のダイナミック型と同じく電流と永久磁石を用いた方式で、方式としてはダイナミック型の派生系と言えます。

静電型では電圧による駆動という性質上、発音体(振動板)に対し常に電圧をかけておく必要があり、専用のドライバー(駆動機器)を必要とするなど、機器の点での負担が大きいものでしたが、オルソダイナミック型は通常のヘッドホンと同じく、再生機器とプラグで接続するだけ足り、機器の面で有利でした。
一方で、オルソダイナミック型は永久磁石の間に振動板とコイルを配置しなければならず、固定極の間に発音体だけを配置すれば足る静電型に比べると、振動部分が厚くなり、駆動力の点で不利でした。駆動がしにくいヘッドホンは音量が取りづらく、精細な音再現が難しいという欠点を持ちます。

この欠点を克服する、つまりオルソダイナミック型において駆動力を得るためには、強力な永久磁石が必要です。
高磁束密度によって少ない電流でも強い駆動力を実現せしめるのです。
そこでヤマハではHP-1(フェライト磁石、磁束密度1,500ガウス)からYH-100(改良型フェライト磁石、1,700ガウス)へと磁束密度を高めた製品を開発していきます。1977年発売のHP-1000では円形に成形された永久磁石、ディスク・マグネットの素材について成形が困難であることで知られたレアアース、セリウム・コバルトを採用し、初号機(HP-1)の倍近い磁束密度、2,900ガウスを実現します。
YH-5Mはその1年後に登場し、同じくセリウム・コバルト磁石を採用、オルソダイナミック型史上、最高の磁束密度3,400ガウスを誇るヘッドホンとなりました。
セリウム・コバルトの加工が難しいせいか、オルソダイナミック型でも希土類マグネットを用いた機種はHP-1000とYH-5Mの2機種しか有りません。
価格は1978年当時で23,000円。現在の物価に換算すると4万円弱といったところでしょうか。

YH-5Mをみて驚かされるのはそのスタイリングです。
イヤホンともヘッドホンとも似つかぬ独特の形状。それでいて、つや消し黒色を基調とし、金属の銀色をアクセントに添えたその姿には高級感があります。
全く時代を感じさせないデザインです。MOMAあたりに展示されていたとしても特に違和感を感じない事でしょう。

本機の筐体には様々なギミックが施されています。
ヘッドバンド部分に置かれたダイヤルはこれを回すことでバンド長さの調節が可能です。
イヤーハンガーは銀色の軸部分下のプッシュボタンを押すことで稼働出来、装着しながらも発音ユニットを耳から外せます。
発音ユニット下部にあるネジは緩めることで、ユニットの耳孔に対する角度を調整でき、どんな人でも最適の装着を実現できるように配慮為されております。
その他、こめかみ辺りには可変式のサイドパッドが設けられ、頭の形に併せて筐体をフィットさせます。
更には付属品のバックキャビティを用いることで、開放型から密閉型への変更すら可能であり、使う場所も選びません。
もっとも目立つ形をしていますので、電車内などで使っていたら、じろじろ見られてしまうかも知れませんが。

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ともあれ大変使い手のことを考えており、よく練りこまれた製品であるということが出来ます。
コードも着脱式でして、万が一断線してもリケーブルして長らく使うことが可能です。重量は120gで、この軽さも魅力的です。
HP-1000が540g、現代における平面駆動型ヘッドホンの重量がHiFiMAN HE-6で502g、Audez'e LCD-3で550gである事を思えば、その軽さが想定されましょう。

ちなみに一口に全面駆動式ヘッドホンといっても、HiFiMANやFostex、Audez'eの採るそれと、ヤマハのオルソダイナミック型とでは永久磁石の点で違いがあります。
HiFiMANはじめ現代の各社は棒状の永久磁石を複数本(例えばFOSTEX T50RPであればネオジウム磁石3本×両面で6本、HiFiMAN HE-6ならば5本×両面で10本、Audez'e LCD-3ならば6本×両面で12本)配置することで、その間に挟んだ振動板を駆動させますが、YAMAHAの場合、永久磁石を振動板と同じく円状に成形した上で、これに多数の孔をあけて発音体から生じた振動を透過させています。
単に棒を配置するのではなく、振動板に適したサイズの磁石を一々作りだすのです。
オルソダイナミック型は、振動板と磁石の形状が一致する為、コイルが渦巻状に組み込まれた振動板(発音体)に対して満遍なく永久磁石の反応を及ぼせるという利点を持ちます。
一方、マグネットの成形(特にセリウム・コバルトなどの希土類の加工は困難です)、振動板へのコイル組み込みをはじめそれぞれの部品を作るのににコストが掛かかりすぎるという欠点がありました。
その為、仮にヤマハがオルソダイナミック型を復活させるとしても、凄まじい費用を要することになります。現実的な復活は困難としか言い様がありません。
オルソ・ダイナミック型が「失われた」だとか「伝説の」だとかいう形容詞をもって語られる由縁です。

そんなオルソダイナミック型ヘッドホンYH-5Mですが、肝心の音質は如何でしょうか。
古いオーディオ機器といいますと、ラジカセの如き篭った音を想像しがちです。つまり、音の分離がうまく行かず、しかも音場は狭く、しかもfレンジ(出ている周波数帯域)も狭い。そんな音を考えてしまいます。
しかし、YH-5Mは違いました。
音は明確に分離され、オープン型の特徴を十分に生かした音場の広さで、しかも、つっかえを感じさせないレンジ感を持っています。何より全帯域に渡り、存在感抜群の音が魅力的です。

オルソダイナミック型ヘッドフォンは振動板全面に均一の力をかけることが出来、原理的に歪みと無縁な方式です。
「歪み」というのは入力された情報がどれだけ忠実に出力されるかを表現する際に用いられる言葉です。
当然、歪みは低ければ低いほど、元々の情報が忠実に再生されることになりますから、高音質が得られます。
オルソダイナミック型では、振動板が全面駆動されることで、分割振動の問題が生じないため、振動板は入力通りの波形を再現することになります。もちろん筐体を通して音は一定の影響を受けますから完全に歪み無しとは言えませんが、しかしオルソダイナミック型の実現する低歪率は魅力的です。

低歪率が実現するのは、録音当時の状況再現、つまりは鮮度のある音の再生です。
これはクラシックの曲について特に言える事ですが、器楽曲のトラックには、録音場所の部屋なりホールなりの壁・天井に発生音が反響された、かすかな残響が含まれている場合があります。
高歪率のヘッドホンですと残響の様な微細な音は、殆ど再現が為されませんが、YH-5Mはこういった微細な音も逃すことが有りません。
例えばFontec版、伊福部昭 交響作品集に収録されております「オーケストラとマリンバのためのラウダ・コンチェルタータ」(指揮:山田一雄)ですが、これは2分半に及ぶ導入部の演奏の後に、全ての楽器が止まり、静音のなか一拍を置いてマリンバが登場します。
静寂の中でマリンバの深みある音が弾み、瞬間的に広がり、ホールの天井に当たって帰って来るのですが、YH-5Mはこの過程を余す処なく描写します。

オルソダイナミック型最高を誇る磁束密度もあってか、音の分離も非常に明瞭で、撥で叩くその様子が目に浮かぶような臨場感を伴っています。
大編成交響楽における楽器相互の配置も良く見渡す事ができます。弦楽器群が渾然とせず、それぞれのパートごとに描き分けられていることは好感触です。
私所有のヘッドホンにおいて、分離・解像感のリファレンスはEtymotic Research社ER-4Sですが、このシングルBAの傑作機に十分比肩しうる解像度です。
分離・解像感については、器楽曲のほか電子楽曲においても顕著です。シューティングゲーム「RefRain」のアレンジアルバム・ERRORの1曲目「indivisual」といった音数の多い打ち込み音楽でも、それぞれの音が明確に分離され、主旋律の周りを副旋律が飛び交う広大な音空間が展開されます。

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音空間、音場表現についても開放型のヘッドホンらしい広さがあり、音がつかえるということが有りません。
ゼンハイザーHD800やソニーMDR-SA5000といったヘッドホンの存在を感じさせない程の広さでは有りませんが、それでも通常の密閉型と比べると格段の差が有ります。
感覚としてはよく改良された密閉型、ATH-W3000ANVあたりと同等でしょうか。
再生帯域も20-20kHzと必要十分で、正弦波でチェックしてみても全帯域が問題なく出力されています。
オルソダイナミック型の素晴らしい点は、まさにこの全帯域が問題なく出力される事に有りまして、一部帯域には振動板の一部しか使えない通常のダイナミック型と異なり、全帯域に対して振動板の全てを使って出力することが出来ます。
その為、低音域が大きいだとか、高音域が大きいだとか、バランスを欠いた音にはならず、低音から高音に至るまでいたって平滑、フラットな音を出すことが出来ます。
従って、どれかの音域のために他の音域が犠牲になることが有りません。
と同時に、薄い振動膜が動く静電型とは異なり、それなりの厚さのある振動板を動かすというダイナミック型の特徴から、静電型と比べて一音一音が力強く、迫力のある音が提供されます。

存在感抜群というべき音ですが、それは特にピアノやボーカルといった辺りに顕著です。人声であれピアノであれ、これらは他の楽器に比べて圧倒的に広い音域を誇ります。
曲を歌い、ピアノを奏でる時、音は広い周波数帯域を縦横無尽に駆け回りますが、オルソダイナミック型の特質はこうした音域の高低表現に非常に有利なのです。
YH-5Mは、どんな音域であれ歌い手や楽器の個性に追随し、これを強く打ち出しつつ音楽を再生してくれます。

例えば久石譲のピアノアルバム・Piano Storiesはスタインウェイとベーゼンドルファーの二種のピアノを曲毎に使い分けていますが、YH-5Mで聴くと、スタインウェイの絢爛豪華な鳴りも、ベーゼンドルファーの馥郁たる鳴りもよくよく引き出されて、聴き分けをすることが出来ます。
5曲目「The Wind Forest」(トトロ)は高音のキラキラ感、低音の跳ねっぷりからスタインウェイ、7曲目「Green Requiem」は沈む低音、余韻有る中音からベーゼンドルファーといった寸法です。9曲目「Innocent」(ラピュタ)もベーゼンドルファーのはず。
ここまで楽器の聴き分けがしやすいヘッドホンは初めてでした。
人声についても同様の事が言えて、高音と低音を自在に使い分ける歌手だと非常に面白い。歌手だけでなく、役者の方々の演技を堪能する際にも、効用十分です。
歌い手や楽器の力を引き出すという点では、これまで10年ばかり、私が聞いてきたヘッドホンの中でも随一のものです。
すでに生産終了になった品の価値を算出するのも妙な事ですが、もしYH-5Mが現代にあったならば7万円くらいしても良いのではないでしょうか。
感覚としては力強くなったSTAXで、手持ちの円形ドライバー機SR-001Mk2に比べても、低音域の質感がリアルで単に綺麗なだけでなく、非常に豊かな音を奏でます。
弦楽器における胴鳴りも、広がる倍音成分も力強くドライブする為、その響きは官能的ですらあります。
音の傾向としてはSTAX SR-507を真空管ドライバーユニット(SRM-006t)で鳴らした際の音に似ています。
もっともSR-507よりも音の一つ一つが色濃いです。すっきりとした音が良いか、濃密な音が良いかは、結局のところ好みに帰する事でしょう。

YH-5Mは音声信号の微細な部分すら逃さない十分な低歪率と、オルソダイナミック型特有のフラットな帯域特性を持ち、結果として素晴らしく豊かな音を奏でています。
30年前のオーディオ黄金期の凄味を感じさせる一品です。
一聴の価値ありと思いますので、機会があったら聴いてご覧になると宜しいかと思います。
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by katukiemusubu | 2012-03-09 01:21 | Ecouteur(ヘッドホン) | Comments(4)
Commented by なおも at 2013-09-01 01:21 x
これって、現代の普通のカナルチップが使えるんですか?
見た感じイヤホンなのですが…
Commented by katukiemusubu at 2013-09-18 19:22
なおも様

コメントをいただき、ありがとうございます。
YH-5Mですが、イヤーチップ中央の直径がかなり大きく、現代のカナルチップは使えそうにありません。
無理をすれば挿入できるチップもあるのですが、装着感があまり良くない為、純正には敵わないかと思われます。

衛生状態を保つため、時折、純正チップにアルコール消毒をして使用しております。
Commented by 所有者 at 2014-09-08 23:24 x
現代価格7万には驚きました。素直な良い子です、忠実ですね。誇張とは無縁です。経年劣化でこめかみ部のフェルトが磨り減りヘタりました。
たまには、ドンシャリも聴きたくなちゃいますよ。
Commented by おさらい at 2015-12-20 22:34 x
カタログでしかみたことなかったけど、懐かしい。ヘッドバンド付きではありますが、現在に至るカナル型の元祖ですよね? 平面駆動としての比較だけでなく、現代のカナル型とも比較してもらえないものでしょうか。
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