死闘 天狗沢(西奥縦走三年目の敗北)

平成27年(2015年)9月4日の山行記録。
国内最高難易度を誇る登山道、西穂高岳・奥穂高岳縦走路。
過去二年間、西穂山荘を拠点として踏破を目指しましたが、いずれも失敗に終わる。

読めぬ天気。外れる予報。
そこで考えたのが、晴れ間を狙っての日帰り縦走でした。
しかし、これもまた、天候の急変により危機を迎えるのであった。

この19日後、同じく天狗沢登山道を用いて、
ジャンダルム・奥穂高岳・吊尾根の日帰り縦走に成功するのですが、
その記事についてはこちら
本記事は敗退の記録です。




という事で、三年目の西奥縦走にチャレンジして参りました。
新穂高(岐阜県側)スタートであった前回前々回とは異なり、今回は上高地(長野県側)スタートです。

夜行バスで上高地に向かい、早朝のうちに岳沢小屋へ。
岳沢小屋から天狗沢を詰めて、天狗のコル(稜線)に至ります。
天狗のコルからは、西奥縦走路に入って、ジャンダルム・奥穂高岳へ。
奥穂高岳からは吊尾根を通って、重太郎新道経由で岳沢小屋へと戻り、上高地に帰投するプランです。

標準コースタイム14時間30分。
途中、前穂高岳を登るのであれば15時間30分。
深夜バスの上高地バスターミナル到着が5時間30分、新島々行き最終バスの出発が18時ちょうどですから、
12時間30分以内にこのコースを踏破できなければ日帰りは叶いません。

必要とされる速度は1.26倍速。
休憩の時間を考えると1.3倍速は欲しいところです。
そんなことを考えつつ、9月3日深夜22時半。
新宿バスターミナルを発つ「さわやか信州号 グリーンカー」に身を落ち着けました。

c0124076_16233558.jpg

さわやか信州号グリーンカーの車内。
三列構成で、一人掛けがD席、二人掛けがA席B席です。
座席は寝返りが打てる程に広く、またフットレストがしっかりしているため、じっくりと休む事が出来ます。
これで車内トイレが付いていれば言うこと無しですが、残念ながらトイレ設備は無し。

繁忙期に多くの乗客を受け入れるためにトイレ無しとしたのでしょうが、長距離バスでトイレ無しはいただけません。
トイレ需要に対応するため、談合坂サービスエリアと諏訪湖SA、二箇所で休憩が行われます。
いずれも24時間営業のため、飲食料の調達には便利です。

ごろごろと微睡みつつ、身体を横たえていると、徐々に空が白み始めました。
9月4日早朝5時20分。
定刻よりも少し早く上高地BTに到着です。
c0124076_16244221.jpg

天気は薄曇り。気温は10度。
上高地BTは標高1,505mですので、単純計算すれば、穂高稜線(標高3,000m前後)の気温は1度です。
朝であることを加味しても、例年より低めの気温。
ソフトシェルを一枚追加して対応する事にします。

軽く朝食をとり、トイレを借り、登山届を提出したのが6時ちょうど。
上高地BTの登山届ポストは、500円を支払うことで山行保険を付けることが出来、重宝します。
いざ、出立です。

c0124076_1637359.jpg

人影のまばらな河童橋を渡り、岳沢湿原へ。
五千尺ホテルに逗留の方でしょうか、浴衣姿の男性とすれ違って驚きつつ、先を急ぎます。

c0124076_16425338.jpg

薄靄の岳沢湿原。
よく整備された木道を歩いていると、上から水滴が落ちてきました。
何かしらんと、木の上を見ると、そこに居たのはニホンザル。
二匹がじゃれあって枝を揺らしています。その揺れで夜露が落ちてきたのです。
通行人には目もくれず、じゃれ合う二匹。「朝からお熱いことで」と独り言つ。

c0124076_16494781.jpg

6時10分、分岐。
岳沢登山道(前穂高岳登山道)に入る。
鬱蒼とした森に伸びる一筋の道。気分が盛り上がります。

c0124076_16523859.jpg

岳沢登山道の標準コースタイムは2時間半。
コースの10分の1ごとに写真のような標識看板があり、現在のペースを確認できます。
標識間の所要時間が15分であれば、標準的なペース。
10分であれば1.5倍速です。
ウォーミングアップを兼ねて増速。標識間を10分で行く事にしました。

c0124076_1702260.jpg

6時40分、風穴を通過。
然しもの天然クーラーも、晩秋を思わせる気温の中では機能せず、冷気は吹き出ておりませんでした。

c0124076_1731221.jpg

高度1,900m。上高地の堆積平野に日が射してきました。
この日の降水確率は20%。残り8割の方に振れて欲しいところ。

c0124076_171228.jpg

そして、稜線にも朝が訪れます。
陽光が岩壁に反射され、上部は眩しいほど。
下部、滝沢はまだ暗い状態ですが、大滝と万年雪が中央に位置し、鮮烈なコントラストを描いています。
広がっていく風景を楽しみながら、一路、岳沢小屋へ。

c0124076_17194124.jpg

7時40分、岳沢小屋に到着しました。
石垣の間に望む、前穂高岳方面のピーク。
かつてこの石垣の上には、収容人数200人を誇る大規模な山小屋「岳沢ヒュッテ」がありました。

岳沢ヒュッテは、平成18年(2005年)1月に泡雪崩を受けて倒壊。
同年4月には小屋主(社長)で遭対協救助隊長も勤めた上条岳人氏が事故でお亡くなりになり、後に廃業となりました。
岳沢に小屋が再建されたのは平成23年、それから5年後のこと。

槍ヶ岳山荘グループの元で再建され、岳沢小屋として今に至ります。
岳沢小屋の収容人数は、60人と小規模です。
しかし、難所の多い岳沢界隈に小屋があるという事の有難さと言ったらありません。

c0124076_180535.jpg

そんな岳沢小屋でトイレを借り、小休止をとることにしました。
流石は築5年。非常にきれいな便所で、採光も良し。
洋式であることも有難い事です。
倍額の200円を投入。

午前8時。
天気は晴れ。
天狗沢へ向けて出発することにします。
c0124076_0454999.jpg


岳沢小屋から天狗沢を経て、天狗のコルへと至る天狗沢登山道はいわゆる「破線ルート」(バリエーションルート)。
難路として知られており、「山と高原地図」にはハッキリと「一般向でない」と書かれています。
なぜそこまで難路と言われるのか?
それはこのルートがガレ場の連続だからです。

c0124076_18133635.jpg

岳沢登山道(ルート写真)。

つまりはこういう事です。
岩、岩、岩、浮石に岩壁。
道を構成するもの全てが行く手を阻んでいます。
核心部においては足の踏み場を間違うと即、落石が発生。
下手を打つと岩雪崩が発生します。

とはいえ登りにおいては、よくよく見定めて足を置く限り、そう簡単に落石は発生しません。
問題となるのは下りです。
石の基部を見上げつつ確認できる登りに対し、見下ろす形となる下りでは基部が確認できないため、
どれが浮石でどれが安置なのか判然とせず、浮石を踏む確率がアップするのです。
それでも晴れていれば、周囲の状況から、浮き石か否かの判断が可能です。

最悪なのはガスに巻かれた時。
視界が奪われ、石の判断がつかなくなってしまいます。
更に雨が振り、風でも出てくれば、事態はより深刻化します。
岩が滑りやすくなり、靴のフリクションが効かず、脆い岩に至っては足場ごと崩壊してしまいます。

登り始めて2時間。
そんな最低最悪の事態が降りかかって来ました。

c0124076_185597.jpg

時刻、午前10時。
現在位置、天狗沢ルート畳岩上部。
標高2,803m。
天候、猛烈な雨と風。
有効視界5m。気温3度。

天狗のコルまで残す標高差50mといったところです。
午前8時に岳沢小屋を発ち、所要時間3時間を2時間で登る。
途中、雲が出てきましたが、予報では降水確率20%。
さしたる雨にはなるまいと思って高度を上げておりました。
しかし、ここに至って我に返る。

ポツポツなどでは無く、ビシバシと雨套を打つ風雨。
雲は飛騨側から信州側へと湧き出でている様子で、陸続と押し寄せてきます。
そうしてガスは濃くなるばかり。
ああ、つまりはーーー詰んでいる。

となりの枝沢からは、風にあおられた岩屑がこぼれ落ちており、白い闇の中、ゴロンゴロンとした音が響いています。
稜線(天狗のコル)でのビバークを検討するも、雨が降り出して既に1時間半。
西奥縦走路を踏破するコンディションではなく、また停滞後に抜けられるエスケープルートも存在しません。

「・・・撤退しかあるまい」自分を勇気づける為に、わざと声に出します。
そう撤退しかありません。このまま進んでもジリ貧。
生きてこの場を抜け出して、再起を図るのです。
その為には、脆く急な岩場を下っていかねばなりません。
いままで稼いだ標高を吐き出さねばなりません。

そして出来うる限り落石を避け、能う限り岩雪崩に巻き込まれない様にする。
また始まっているであろう増水を見越して、沢の渡渉点を見定める必要もある。
ルートを示すペンキマークは視界不明瞭で発見が難しいため、しっかりとルートの記憶を辿らなければならない。
下りのための指針を整理して、10時10分に下山を開始しました。
過酷な撤退戦の始まりです。

c0124076_22103291.jpg

ひとまず畳岩尾根沿いに沢を下っていきます。
逆層スラブと化した岩場は雨が伝い、ちょっとしたスライダーと化しています。
そこからサラサラと降ってくる砂礫に緊張を強いられつつ一歩一歩、確実に下山。

この様な荒天時に破線ルートで行動不能になっては助けも呼べませんから、慎重に歩を進めます。
実際、この日に天狗沢ルートに居たのは私一人なのでした。

c0124076_2221375.jpg

しかし、久々に誘導表示を見て気が緩んでしまったのでしょう。
「トラバース」の誘導をみてから、二三歩進んだところで、浮石を踏んでしまいました。

あっという間に崩れる足場。掬われる身体。
急傾斜のため、ガラガラと岩が流れていきます。
「しまった!」と叫びつつ、重心を右方向へ。
意図的に転倒して尻餅をつきます。出来るだけ接地面積を増やして滑落を防ごうというのです。

この目論見は成功して、2m程度、流されただけで済みました。
すぐに現状復帰。手足の動きをチェックし、無事を確認しました。
しかし、完全に無事とはいきません。

小規模な岩雪崩とはいえ落下する岩の力は強く、岩角に靴がぶつかって登山靴が破れてしまったのです。
外側の生地のみならず、内側の防水透湿生地まで貫通しており、もう少しで足本体まで至るところでした。

ここ二年程、どこへ行くにも一緒だったアプローチシューズ「Evolve Talus」。
自慢のeVent防水透湿層を突破され、3cmほどの穴が開き、中破。
防水シューズが、浸水シューズとなってしまいました。
しかし堅牢な外装のお陰で、生身へのダメージはゼロ。
TraXラバーを採用したソールのフリクション性能は健在で、まだ十分下山できそうです。

とはいえ今度転倒すれば、生身へのダメージは必至。
かくなる上は登りの倍の時間がかかっても仕方がない。
そう割り切ることにして、非常にゆっくりと下って行くことにしました。

c0124076_001619.jpg

岩に手を添え、木に手を添え、ゆっくりゆっくり。

天狗沢核心部のガレ場を抜け、灌木帯に入ります。
雨にオオカサモチの姿が映えて、閑寂な趣があります。
でもちょっぴり怖い。

天狗沢登山道は、大きく3つに区分することができます。
まず、岳沢小屋から北西方向へ、コブ沢や枝沢を越えるトラバース区間。
第一お花畑、第二お花畑とよばれる草木地帯もあり、目にも優しい区間です。
次に、天狗沢の中心に入り、草付きのある道を行く灌木の登り区間。
ちょうど上のオオカサモチの群生地などがこれに当たります。
そして最後、天狗沢核心部を北北西に突くガレ場の急登区間。
ご案内の通り、兎にも角にも足場が悪い。

c0124076_04964.jpg

もう一度転倒を経験した後、雲を抜けたのは第一の区間まで戻った時のことでした。
時刻は12時10分。登りよりも遥かに遅いペースです。

一息ついて装備を点検すると、靴は内部まで水浸しで、歩くとベチャベチャと音がします。
標高2,300m。幸いにも気温は上がってきている為、低体温症の危険は少なくなりました。
とは言っても今回は運が良かっただけで、こういった時のために防水靴下は持っておきたいな、と思いました。
二度の衝撃で、ソールは若干の剥離が見受けられるものの、機能的な支障はなし。
覚悟していた生身へのダメージもほぼ皆無。
のんびり下ることにします。

懸案であった渡渉点について。
普段がほとんど涸れ沢に近い状態であることから、少し流れが急になっている程度で済んでおり、
幸運にも激流を前に停滞、といった事態は避けることが出来ました。

c0124076_0334980.jpg

12時40分、岳沢小屋に帰り着く。
ウイダーinゼリーを嚥下しつつ、稜線を見上げると、雨雲はすぐそこまで迫っています。
巻き込まれる前に上高地まで戻ることに致しましょう。

手早く装備の点検を済ませて、下山を開始。
14時過ぎに上高地の岳沢登山路分岐まで戻ることが出来ました。
c0124076_0435325.jpg


c0124076_1182828.jpg

まだ天露に濡れていない木道が目に眩しいです。
雲は標高2,000mほどで留まっているらしく、上高地では小雨が降る程度のものでした。

流石に身体が冷えているため、ウェストン碑へのご挨拶がてら、上高地温泉で湯に浸かることにします。
田代橋周辺にある上高地温泉は、宿が二軒。
いずれも日帰り湯を行っていますが、上高地ルミエスタホテルは11時~13時、
上高地温泉ホテルは7時~9時の朝湯、12時半~15時の昼湯営業とがあり、時間が異なります。
温泉地へは河童橋から徒歩20分ほど。
14時半に上高地温泉ホテルに到着し、温泉をいただきました。

c0124076_143159.jpg

お値段800円也。
源泉かけ流し、内風呂、露天風呂二種、洗い場完備。
c0124076_05470335.jpg
焼岳の北東麓にあり、同火山帯を熱源とする三つの源泉を使用しています。
しかも、この三種の源泉をそれぞれに違う浴槽で味わえて、表記のお値段です。
コストパフォーマンスは良好と申せましょう。
若干の炭酸を感じる濁り湯など、珍しいものがあります。
冷えきった身体もすっかり温まり、まことに命の洗濯となりました。

浸水した靴にはビニール袋で対処することにして、上高地帝国ホテル前バス停から、新島々駅行きバスに乗車。
帰路に着きました。

c0124076_1204362.jpg

帰りしな岳沢小屋スタッフブログを覗くと、標題が「暗い・寒い・・・」。
岳沢は「霧が立ち込め、寒い寒い一日」となり、稜線に至っては「都会の真冬並みの気温」だったとの由。
進出・撤退の決断、危機への対処。そして天候判断と装備選択についての課題を残した山行となりました。

[PR]
by katukiemusubu | 2015-09-18 01:55 | 登山・トレッキング・温泉 | Comments(0)
<< 18禁!永青文庫 春画展 訪問... 「違憲」の二態様 -集団的自衛... >>