「君の名は。」 感想雑記(ネタバレ・随時更新・聖地巡礼のご参考に)

【ご留意】
「言の葉の庭」以来、3年ぶりとなる新海誠監督作品。
ネタバレ全開、まとまった文章というよりはメモです。



c0124076_753427.jpg


【ロケ地について(聖地巡礼のご参考に)】

<東京編>

主人公が霞が関勤務の父親と同居しているマンションですが、眼下に見える公園から言って、港区・芝公園界隈かと思われます。
→修正:見直したら、眼下に見える緑地は芝公園ではなく、東宮御所(赤坂御用地)でした。
緑地の右側に迎賓館、緑地をはさんで赤坂の高層ビル群(ランドマークとしては緑の屋根の「赤坂パークビル」、その向こうの東京タワー)が見えることから間違いありません。
そしてマンションの廊下から観た景色の手前側に、中央本線の線路(正確には架線)が見えることから、場所は新宿区若葉界隈に限定されます。
って、ウチの近所じゃないか!現物のアパートも分かりましたが、流石に個人宅なのでここには書きません。
ただ、四ツ谷駅から若葉の「カトリック・サレジオ修道会日本管区本部」近くの朝日橋まで歩けば、劇中とほぼ同じ景色が見られることは申し添えておきましょう。
c0124076_2320983.jpg

※なお小説版「君の名は。 another side : earthbound」(著:加納新太)では瀧君の自宅は千代田区六番町という設定ですが、六番町からはこの景色は見えず、やはり若葉かと思われます。

最後のシーケンスに登場する住宅街の中の階段は、新宿区四谷・須賀神社の参道階段です。
c0124076_2310318.jpg

写真は夜の撮影のため分かりづらいですが、昼に出かけるとまさにそのものです。

階段上からの夜景。
この階段は、ポスター等のキービジュアルやサントリー天然水とのタイアップCMにも用いられました。
c0124076_23111213.jpg


バイト先の奥寺先輩との待ち合わせ場所や、諸々のシーンで出て来た駅は四ツ谷駅。
c0124076_23143061.jpg

四ツ谷駅からみた景色(劇中よく出てくる「綿半」の看板や「高千穂交易」のビルがあります)。
c0124076_23153079.jpg

奥寺先輩は大学生という設定ですが、待ち合わせ場所からすれば上智大学ということなのかしらん。

奥寺先輩とのデート場所は六本木の国立新美術館。
食事場所は同美術館内のレストラン、ポール・ボキューズです。
ポール・ボキューズの画像検索結果へのリンク
私も時々行きますが、結構おいしい。

作中によく出てくる歩道橋は信濃町駅前の歩道橋です。
信濃町駅前歩道橋の画像検索結果へのリンク
近所なものでふらりと見に行きましたが、ロケ地巡りと思しい方が沢山いらして驚きました。
普通、アニメ映画の聖地巡礼(ロケ地巡り)というと、単独のオタクの方や男性集団が多いのですが、圧倒的なカップル率。
来ている半分以上の方がアベックでした。ロケ地めぐりのそのものがデートとなっているのか、面白いものです。

主人公の通っている都立神宮前高校の立地モデルは都立青山高校と思われます。
都立青山高校のウィキペディア記事へのリンク
ただし、モダンな校内は広島県の基町高校です。
基町高校の画像検索結果へのリンク

主人公(立花瀧)のバイト先のイタリアンレストランは、新宿御苑のラ・ボエム。
ラ・ボエムの画像検索結果へのリンク
まあ、そのものです。
劇中でのレストラン名は「IL GIARDINO DELLE PAROLE」。イタリア語で「言の葉の庭」といいます。
ラ・ボエムは新宿御苑至近にあり、ネタの仕込みが絶妙です。

最終シーケンス、ヒロイン(宮水三葉)が降りるのは千駄ヶ谷駅でしたが、主人公が降りたのは新宿駅(南口)でした。
で、駆けずり回って最終的に四谷よりの須賀神社前で出会う。
なぜ降りる駅が異なったかというと、ヒロインは中央総武線普通(黄色の車両)に乗っていたのに対し、主人公は中央線快速(オレンジ色の車両)に乗っていたためです。
須賀神社前で落ち合うためには地理条件的には信濃町駅の方が有利なのですが、信濃町駅前には某新興宗教関連の施設が立ち並んでおり、これを再現すると色々と支障が出そうですから千駄ヶ谷となったのでしょう。

ともあれ二人が数年ぶり(瀧にとっては5年ぶり、三葉にとっては8年ぶり)にお互いを認識する列車のシーンは、四ツ谷駅・新宿駅間の中央線・総武線併走区間での出来事です。
乗っていただければ分かりますが、実際、向こうの電車の客の表情が分かるほどに近づきます。

全体的に御苑からの徒歩圏内ばかりであり、
御苑近隣住民であるところの新海監督の面目躍如です。

新宿駅および西新宿高層ビル群は、例によってよく出てくるので割愛。


<飛騨編>
主人公がヒロインに会いにゆく時の経路について。
東海道新幹線で名古屋まで出て、名古屋駅から特急「ワイドビューひだ」で飛騨古川駅まで出ています。
乗り換えシーンでは名古屋駅のコンコース及びホームが、到着シーンではJR飛騨古川駅が登場しておりました。
飛騨古川駅の画像検索結果リンク

劇中でヒロインの住む集落・糸守町は完全に架空の集落ですが、景色そのものは岐阜県飛騨市でのロケハン結果が活かされています。
飛騨市HP内の「君の名は。」応援ページへのリンク

彗星の落下シーンを観る限り、猪臥山(標高1,519m)界隈に設定されている様に見受けられました。

ネットを見ていると糸守町の湖のモデルが「諏訪湖」という意見を見かけますが、
糸守湖の劇中形状が円形(イメージボードをみる限り、直径は概ね1km)であるのに対し、諏訪湖は平行四辺形(最大幅4.5km)です。
c0124076_7182165.jpg

形状・サイズが違い過ぎますし、断層湖である諏訪湖に対し、糸守湖は隕石湖(クレーター湖、メテオクレーター)。
成因も異なります。

一方、宮水神社のご神体のある幽世(かくりよ)は火山のカルデラの様にも見えましたので、
これまたネットでよく言われる火山島「青ヶ島」説もないでもないかなと思いましたが、
作中の演出を見る限り、やはり隕石の衝突跡と考えた方が自然でしょう。
とはいえ、国内で正式確認されているクレーターは御池山クレーターくらいなものです。

すると明確なモデルは存在せず、「千と千尋の神隠し」における湯屋「油屋」の様に、
各種の湖・火口をモチーフにしたものと考えるのが妥当でしょうか。

“山頂にポッカリと穴が空いており、その中には豊かな森と池がある”という景色、
これは国内に実在しておりまして、八丈島の地下森林がこれに当たります。
c0124076_23274958.jpg

なお、ど真ん中にある池に到達するためには道なき道を行く必要があり、それなりの労苦があります。
詳しくは八丈島旅行記2「ジャングルを越えてゆけ、火口内の地下深林(八丈富士登山とお鉢巡り・地下森林編)」をご覧ください。


【作品感想(ネタバレしか無い)】

<1.新宿>
新海誠監督は中央大学文学部出身。
私自身もそうですが、多摩にある大学で学生生活を過ごした人間にとって、東京とはつまるところ「新宿」なのです。
中央線あるいは京王線、小田急線に乗って都心に向かうと窓の向こうに見えてくる高層ビル群。
それが僕らにとっての「東京」でした。

例によって西新宿の高層ビル群は登場しますが、
「約束の当日は、昼過ぎから雪になった」(秒速)のモチーフも勿論使われています。

<2.階段>
映画「秒速5センチメートル」において、ヒロイン・篠原明里に最後まで声をかけることが出来なかった主人公・遠野貴樹。
一方、今作の主人公・立花瀧は、声を張り上げ、一歩を踏み出すことを選びます。
それは彼・彼女が通い合った時間が小学生〜中学生(秒速)か高校生(君の名)かにも起因するものですが、
なによりも社会人になった時、諦念に沈むか(かつてあった夢を思い出に変えるのか)、あるいはそれでも自らの希望を叶えていくのか、
という二極端の態様を示すものに思われます。
自らの希望を押し通そうとすることは、ある意味、子供じみた行為です。
しかし、その一歩に爽快感を感じたのも事実。
そこにはどうしようもない断絶(踏切)はなく、苦しくとも進める道(階段)があったのでした。

いわば「秒速5センチメートル」へのセルフオマージュとなった今作。
小説版の最後、階段ですれ違う場面での三葉の独白が全てを物語ります。
すれ違い、秒速と同じくお互いを意識しながらも過ぎ去ろうとした刹那、
三葉は、この様な思いに突き動かされて瀧くんへと振り返るのです。
「全身がぎゅっと苦しくなる。こんなのは間違っていると、私は強くつよく思う。」
(「小説 君の名は。」角川文庫 H28.06.18 著:新海誠より引用)

※秒速5センチメートルの最後辺り、結婚を決めた明里が実家(栃木県岩舟町)から新居(東京都)に移る電車内で読んでいる本は夏目漱石の「こころ」です。
諦めというのは、その本を閉じたところに現れているのかも知れません(「こころ」を閉ざす、的な)。
漱石自身が言うように、「こころ」は乃木将軍の殉死をきっかけに描かれました。
それは「明治の精神」の終焉を描く小説ですが、明治=(この国の)若々しい時代の終わりを描いた小説と読むこともできます。
その本を読み終わり、フッと息を吐いた時、明里にとって「貴樹くんとの初恋」は完全に思い出になったのでしょう。
だから、彼女は貴樹と参宮橋の踏切ですれ違った際、そのままに道を歩んでゆくのです。


<3.失われたものを取り戻す物語>
予告編を見ていた限り、完全に青春ジュブナイル物と誤認した状態で見にゆきましたが、
いやはやどうして、見事に裏切られました。
3年間の断絶だとか、入れ替わりだとかは特に説明なく、ただそこにある超常現象として語られますが、
この行為、ファンタジーに裏付けを与えない行為が、かえって物語への没入感を生むことは意外でした。
すさまじい力技で物語は展開してゆくのですが、まあそれでも良いと思わされるのは新海作品の映像美あってのことでしょう。
東宝の情報戦略(情報コントロール)も見事なもの。

<4.新宿区民にとっての新海誠作品>
新海誠監督は新宿御苑界隈に在住と聞いております。一方、私は四谷界隈に在住。
隣接した区画であり、どちらもタウン誌「JG」の圏内です。
上のロケ地(東京)は徒歩圏内にばかり所在しており、監督と生活圏が丸かぶりな事に笑いました。
毎日の通勤路、通いなれたレストラン、氏子である神社、ふらりと歩く散歩道。
新宿区民、少なくとも四谷民にとって新海誠作品は日常の延長線上にあります。

<5.時の経過・お役所・大震災と向き合う>
細かいけれど、関心した点について。
主人公・瀧の自室は高校生時代と社会人時代でほぼ変わってはいませんが、目に見えて変化した家具が一つ。
ただの業務用であった椅子が、社会人編ではアーロンチェア(ハーマンミラー社の高級椅子)に変わっています。
糸守町への隕石(彗星)落下事故について、作中では写真集のほか、行政の手になる報告書が登場します。
発行母体は「復興庁」。復興庁とは東日本大震災からの復興を目的として時限的(設置機関10年)に設立された中央省庁です。
作中でティアマト彗星が最接近し事故が起こるのが2013年(平成25年)であることを考えると、法改正が行われ所掌業務に「糸守町隕石災害からの復興」が追加されたのでしょう。
エンディング近く、二人が再会するのは東京オリンピックも終わった2021年(平成33年)ですが、ちょうど復興庁の設置期限と同じであり、法的な違和感はございません。

シン・ゴジラもそうでしたが、君の名も。もまた東日本大震災の影響が感じられる作品です。
ついそこまであった日常が、突然の出来事により、ばっさりとかつ不可逆的に奪われてしまう喪失感。
それに対し、徹底的にラショナルな形で対抗するシン・ゴジラ。叙情的にエモーショナルな形で対応する君の名は。
両者に共通するのは、どうしようもない事態に対して、それでも立ち上がる人間の強さであり、
無慈悲なまでに描かれる喪失と破壊の描写、それに向き合ってからの再生のカタルシスが、この二作品に共通した描写・美点なのかも知れません。

<6.おすすめリンク>
シネマドリ
:at homeのコンテンツサイトで映画に出てくるキャラクターの部屋・家の間取りを紹介している。
:「君の名は。」のページでは三葉の部屋を始めとした宮水家の邸宅の間取りと、瀧の部屋を始めとした立花家の住むマンションのレイアウトを、丹治匠 美術監督が自ら紹介。
:公式に「瀧が住んでいるのは新宿区若葉」と言及されています。屋上からの景色との整合に苦労されたとか。

<7.神社の話/記紀神話>
民俗学というか国学的な話。
設定によると、宮水神社の祭神は倭文神(しとりのかみ、建葉槌命)です。
倭文神は、その名の通り、文(あや、文布、綾)=織物の神ですが、
作中ではこれを援用して、綾織≒組紐が重要な役割を果たすことになります。

古事記や日本書紀などの記紀神話によれば、倭文神は織物を用いて悪神・天香香背男(あめのかがせお)を打ち破ったとされています。
天香香背男は別名、天津甕星(あまつみかぼし)と言い、これまた名の通り、星の神です。
この星が、どの星を指しているのかは、江戸時代の頃から国学者の間で議論となってきた点ですが、
有力説としては平田篤胤の推す金星説や、彗星説などがございます。
御存知の通り、本作では彗星説を採用。

各説の論拠は字義解釈によるもので、それぞれもっともですが、
天津(天空の)甕(とても大きい)星という字面通りに読めば、彗星説は自然な解釈です。
ほかの大きな星、例えば太陽はアマテラス(天照大神)、月はツクヨミ(月読尊)として既に規定されており、
他に大きな星というと、周期的に地球へやって来る彗星ということになります。

本作では、この神話をなぞるかのように、
組紐に象徴される「結び」(=むすひ、産霊)に導かれた人々が彗星に対峙し、
一度は滅び、一度は生きながらえる様が描かれるのですが、
記紀神話を前提として見ると、また趣深いものです。

そして最後のシーン。
例の四谷須賀神社の階段でのすれ違いですが、
こうした日本神話の記述を踏まえてみると、
あの場所での出会いが偶然ではなく必然であることが分かります。

すなわち須賀神社の祭神は須佐男命(すさのおのみこと、素盞嗚命)とその娘・宇迦之御魂神。
須佐男命はヤマタノオロチ(八俣大蛇)退治で有名な神ですが、
蛇は洪水や水に関わる龍神として語られるほか、天翔ける蛇=彗星として語られることもございます。
古事記上巻・日本書紀神代紀第八段によれば、
スサノオの蛇退治は、戦いののち、稲田姫命を妻として「吾れ此の地に来たりて心 須賀、須賀し」と言って新居を定めるシーンで終わるのですが、
その須賀の地の故事に基づいて名付けられたのが、四ツ谷の須賀神社です。

竜退治(蛇退治=隕石への対処)を共にした二人が再び出会い、新しい生活がはじまろうという場所にこれほど適した立地はありません。
まさに、その出会いは必然だった、と考えることが出来ましょう。

※1.ティアマト彗星の彗星核が割れ、隕石となって糸守周辺に落ちてくるシーン、
これをよく見てみると宮水神社に直撃したものの他、小規模な分離核が周辺の山林に降り注いでおり、
まさに多頭の蛇が噛み付いてくる様な恐ろしさがあります。八岐大蛇ちっく。

※2.八岐大蛇退治において、スサノオはクシナダヒメを櫛の姿に変え、自らの髪に挿して戦いの場に赴くのですが、
君の名は。本編において、三葉は瀧くんから受け取った組紐を、自らの髪に結えて全町避難に臨みます。
偶然にしては出来すぎた記紀神話との一致であり、
これまでも多くの古文・和歌を引用してきた新海誠監督(中央大学文学部卒)の芸風を考えれば、当然、オロチ退治も下敷きとなっているであろうと考え、本節を書いた次第です。

※3.ちなみに新居を定めた際に素盞嗚命が謳うのが、
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」
日本最古の歌として高名な一節です。

<8.「君の名前は…」に続くもの>
エンディングの階段シーンは、ご承知おきの通り、
瀧と三葉がお互いを呼びかけ合う声、「君の名前は…」で終わります。

これに関連して、
お互いのことを思い出す「君の名は(句点をつけない)」派と
お互いのことは思い出せず(あるいは薄ぼんやりとしか認識できない)とする「君の名は。(句点をつける)」派の議論が散見されますが、
私は断然、句点をつけない派です。

句読点は、あくまでも(62年前にもゴジラを撃破したすれ違いものの傑作映画)「君の名は」との差別化のためにつけられたものと考えています。

といいますのも、かたわれ時を経て、自らの身体に戻った三葉が町内を避難させるべく動き出すシーン、
変電所前で勅使河原(テッシー)と合流したところで三葉はこう云うのです。
「ごめん!自転車こわした!」

劇中で自転車を壊したのは、三葉に入れ替わっていた瀧であり、三葉本人ではありません。
それにも関わらず、三葉は自転車のことを謝罪している。
これまで二人は入れ替わり時の記憶を引き継ぐことはできず、あくまでも携帯電話のメモに頼って、お互いの記憶をフォローしていました。
しかし、ティアマト彗星の迫るこの時、お互いに携帯メモを作成した様子もなく、口頭で引き継ぐ唯一の機会であったかわたれ時においても、そんな暇(いとま)はありませんでした。

すなわち、かたわれ時を経て、まさに時空を越えて、
二人はそれぞれの記憶を断絶無く、シームレスに引き継ぐことに成功しているのです。
言い換えれば、二人の中にはお互いの記録が眠っていると考えることができます。

それならば、あの時、あの階段で言うべき言葉はだだ一つ。
「「君の名前は…」」 「三葉!」 「瀧くん!」
そうあれかし。



【Tips:ユキノ先生にみる新海誠作品の時系列】
(※「言の葉の庭」ネタバレ注意)

「君の名は。」には前作「言の葉の庭」のヒロイン雪野百香里(演:花澤香菜)を思わせる国語(古典)の教師、ユキノ先生が登場します。
はじめ映画を見た時、「ははん。ユキノちゃん、四国の実家に帰ったと思ったら、今度は飛騨にいる。秋月くんとの関係で何かあって、流れ着いたのかな」と思っていたのですが、
金麦片手に「言の葉の庭」を見直していたら、重大事に気が付いたので書き置きます。

「君の名は。」作中においてティアマト彗星が落下するのが平成25年(2013年)、瀧くんが生活しているのが平成28年(2016)年です。
一方、「言の葉の庭」において、雪野とタカオ(秋月孝雄)が出会うのは、ある年の梅雨前。
ラストシーン、二人がお互いの手紙をやり取りするのが、この年が明けた冬のことでした。
つまり、梅雨時からあくる年の冬にかけて。「言の葉の庭」の物語はちょうど1年度で完結しています。

そして、この年度が何時なのか、あまり気にも留めていなかったのですが、
作品を見直していて、以下の場面に出会い、ビールを飲む手が止まりました。
キャプチャーをご覧ください。
c0124076_14054189.png
・・・お分かりいただけますでしょうか。
これはラストシーン、冬、雪野先生からの手紙が映し出されたカットです。
雪野先生からの手紙には、差し出し日として「2014年2月3日」のクレジットがあります。
先に申した通り、「言の葉の庭」は一年度の物語ですから、
最後のシーンの年が2014年であれば、作中の年度とは平成25年度(2013年度)となります。
そして、「君の名は。」において三葉側の糸守町の物語が展開される、
つまりユキノ先生が居るのも、同じく平成25年(2013年)の事です。

「君の名は。」の糸守編の季節は、春から秋にかけてのことでした。
「君の名は。」作中で、ユキノ先生が三葉たちへ授業中に「かたわれ時」の講義をしたのも、この時です。
しかし、この平成25年(2013年)の春から秋にかけての時期とは、
「言の葉の庭」作中において、雪野先生が3年生から嫌がらせを受けて自主休職に追い込まれ、
新宿御苑で秋月くんと出会った時期でもあります。

飛騨と東京、2つの異なる場所に、同時に存在するユキノという人物。

つまり、これによって、
「君の名は。」において平成25年に糸守高校の教師として古典を教えるユキノ先生と、
「言の葉の庭」において平成25年に都内の高校で陰湿な嫌がらせを受ける雪野先生とは、
同一人物ではない、あるいは同一時系列の人物ではないという事が明らかとなりました。

仮に別人ではないとするならば。

両者の時系列はパラレル(並列)であり、
「君の名は。」と「言の葉の庭」という2つの新海誠監督作品は、パラレルワールドの関係にあるという事なのです。

ワァオ!

[PR]
by katukiemusubu | 2016-09-04 00:24 | ブックレビュー・映画評 | Comments(2)
Commented by 元若葉住人 at 2016-10-05 01:08 x
素晴らしいブログ記事で、楽しく拝読いたしました。
私も元若葉の住人として、映画を初めて見た際にあの「東京」の風景がとても懐かしく感じられ、一度は六番町がモデルということを聞き腑に落ちないながらも無理やり納得していましたが、katukiemusubu様のブログを読んでようやく落ち着きました。やはりそうでしたよね。

<7.神社の話/記紀神話>の記述は、大変すばらしいですね。他所では中々目にかかることは出来ない一方で、非常に核に迫っているもので「よくぞ書いて下さりました!」と感動さえしました。須賀神社が選ばれたのはまさにその通り、素盞嗚命と大いに関係があると確信しておりましたが、こうして紹介して下さるブログがあったとはただただ感服しております。
新海監督が古典文学等からインスピレーションを得ているというのは各媒体でご自身で発言されていることですし、「君の名は」ブームをきっかけに「万葉集ブーム」くらいは起こってくれないものかと密かに期待しています。

長文失礼いたしました。ますますのご活躍を祈念申し上げす。
Commented by ゆき at 2016-10-06 08:53 x
良い記事でした。しかし一つだけ。「自転車壊した!」のあとに三葉は「やって」と伝聞系を付け足しています。記憶が引継ぎされた証拠にはなりえません。
<< 極上の硫黄泉 箱根の野湯へ 剱岳 別山尾根 日帰り登山(室... >>