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八丈島旅行記1「冬の太平洋を越えて!東海汽船 橘丸(往路)」

平成27年1月24日から26日。
八丈島へ行って来ました。
東京本土から300km。
伊豆諸島南部に位置する有人島です。
10時間半の船旅がその端緒を飾ります。

 →八丈島旅行記リンク 1「冬の太平洋を越えて!東海汽船 橘丸(往路)」(当記事)
            2「ジャングルを越えてゆけ、火口内の地下深林(八丈富士登山・地下森林編)」
            3「八丈富士登山 中央火口丘の湖沼群(湿地帯)+樫立向里温泉ふれあいの湯」
            4「滞在記 ホテル リード・アズーロ/八丈島焼酎 飲み比べレビュー」
            5「再び太平洋を越えて!東海汽船 橘丸(復路・伊豆諸島歴史紀行)」



夜の竹芝桟橋(旅客ターミナル)。
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流石はオフシーズン。
静かなものです。

東京から八丈島へ行く手段は2つ。
ANAの旅客機と東海汽船の大型客船があります。
それぞれの所要時間は、飛行機が1時間、客船が10時間半。
今回は船を選択しました。

船を選択した理由は2つ。
一つは安価であること。
飛行機の片道運賃が2万3千円であるのに対し、客船は2等客室であれば8千円ほど。
更に株主優待券を用いれば35%オフされ、6千円で島に往くことが出来ます。
二つ目は時間が有効活用できること。
八丈島空港への航空便は昼行がメインですが、船便はその逆で、夜行がメインなのです。
今回乗った「橘丸」であれば、22時30分に東京を出て、翌朝8時50分に八丈島着。
つまりは、島到着一日目から目一杯旅行をすることが出来る。
安くて、かつ行動自由度も高い。
なれば、ということで船便に致しました。

1月24日、東京の気温は5度。
これに対し翌25日、八丈島の予想最高気温は15度。
北緯33度、亜熱帯へ向かうことが実感される数値です。

友人宅の誕生日会に出席したあと、竹芝埠頭へ向かいます。
21時40分、客船ターミナルへ到着。
早速、八丈島・御蔵島・三宅島方面の窓口で発券手続きを行います。
あらかじめ予約をしてあるため、スムースに発券。
旅客票に個人情報を記載し、22時発の大島方面「さるびあ丸」を見送ったりしておりました。

22時10分、「橘丸」乗船開始のアナウンス。
早速、乗船ゲートへ出向きます。
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橘丸の総トン数は約5,700トン。
第二次大戦時の新鋭軽巡洋艦に匹敵する大きさです。
搭乗口はその4階に設けられており、航空機と同様のボーディング・ブリッジが接続されていました。

旅客票を地上側係員に渡し、船内へ。
笑顔いっぱいの船舶側乗員に迎えられます。
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流石は就航から半年足らずの新造艦。
ものすごく綺麗です。
受付の船員方も感じ良し。
「二等」という等級の低い客室の客でありながら、客室の場所まで丁寧に教えてくれました。

橘丸の甲板は6層構造なのですが、その内、第二甲板から第六甲板まで客室があります。
番号が大きいほど上層の甲板です。
写真は甲板間をつなぐ船内階段。
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第六甲板の半分は露天甲板、第五甲板の半分は半露天甲板になっています。
どちらも展望デッキとして開放されており、乗客が自由に散策して良いとのこと。
「甲板」を「かんぱん」ではなく「こうはん」と読むあたり、船上の人だなあ、と思いつつ、教えてくれた船員氏に謝辞。
露天甲板へ昇り、出港の様子を見物することにしました。

ということで22時30分。
定刻通り出港です。
搭乗橋がするすると離れて行きます。
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バウ・スラスターを吹かせて、滑らかに離岸していく橘丸。
竹芝埠頭は東京タワーの近く、浜松町駅から徒歩10分ほどのところにあるのですが、東京タワーがみるみる遠ざかって行きます。
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そうこうする内にレインボーブリッジが見えてきました。
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橋の下をくぐっていきます。
橋梁部のトラス構造が見えて印象的です。
そこで思い出したのですが、2012年のMBS系アニメ「夏色キセキ」でも似たようなシーンがありました。
調べてみると8・9話が八丈島編とのこと。
主人公たちは、引退した「かめりあ丸」で八丈島へ向かっています。

レインボーブリッジを通過。
都心が一挙に遠ざかります。
さらば、東京!
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遠ざかる東京の夜景を眺めつつ、デッキに佇む。
デッキ上には同じく夜景を眺めている人がちらほら。

そのなかで、上等なカメラをもった外国の方と目があいました。
観光かしらん。伊豆諸島へ向かうとは珍しい。
一先ず、会釈を交わします。

さて、そろそろ客室へ向かうことにしましょう。
その前にトイレを経由。
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綺麗なトイレ、ウォッシュレット付きです。
揺れに備えるためか、扉は磁石による固定式。
外すのに力が要ります。
水洗式なのですが、漏れ防止のためでしょう、凄まじい勢いで吸い込まれて行きます。
大便器がすべて洋式であることも好感。

今回私が予約したのは、等級として最も下に当たる二等客室です。
ただっ広い部屋に多くの人。そして雑魚寝。
口さがない人には「奴隷部屋」とも称される、そういった客室を想像していました。
現実はこちら。
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定員ごとに区切られたブース。
目隠しとしても機能する敷居。
人数分ある靴箱と返却式コインロッカー。救命胴衣。
そして何より優れているのは、最大でも15人程度と部屋が小分けにされていることです。
機関室が近いはずなのに、あまり音も響かず、落ち着きます。
かつての二等とは隔世の感です。
いいねえ、痺れるねえ。

「これが現代の二等客室か・・・素晴らしい!」と心の中で賞賛を送りつつ、部屋に上がります。
部屋を観察したところ、人の形跡なし。
この部屋には、私以外の乗客はいない様です。
あとからレセプションに確認したところ、この日は乗客が少なく、二等でも各部屋に一組づつの客を割り振ってくれた、とのことでした。
つまりは10人部屋を貸し切り。
素晴らしい配慮。
素晴らしき哉、シーズンオフ!

部屋の中央には、モニターが配置。
地上波(港湾内のみ)の他、BS放送(外洋でも受信可)、現在位置情報などを見ることが出来ます。
なお東京湾を含む、港湾内であれば携帯電話も通信圏内です(auの場合)。
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写真は現在地情報。

流石にニ等だけあって、部屋に扉はなく、玄関部は廊下に向かって開けっ放しです。
そのため廊下の向かい側の部屋が見えます。
とはいえ、プライバシーには配慮されており、見えるのは部屋の真ん中のみ。

見たところ今はだれもいない様子です。
すると、足音が近づいて来ました。
どんな人が来るのかしらん、と目を向けるとそこには先程の外国人氏。
お隣の部屋の客は彼でした。

なんたる偶然。
思わず話も弾みます。
彼、エンリコ氏は雑誌記者で、三宅島へ取材にゆく途上とのこと。
イタリア系アメリカ人らしく、眉目秀麗、輝く瞳がラテンのノリです。
無精髭がクール。
10分後に船内レストランへ行こうと決議して、各々の部屋へ解散しました。
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荷物を整理し、コインロッカーに収納。いざ出発です。
20リットルザックならば十分に収容できるロッカー。
防犯面でも安心感があります。

食堂は階段を上がったところ、第四甲板にあります。
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船内ながら、なかなかのメニュー。
厨房も広く、煮物、焼物、揚物、なんでも対応している様です。
私は「焼酎のマンゴー割」を、エンリコ氏は「吟醸 タカムラ」を飲みつつ、おでんを食べます。
お互いの旅話やら、お国柄について語らいつつ、夜は更けていく。
23時半ころ散会しました。

23時50分、客室消灯。
船の位置を確認すると、ちょうど東京湾を出ようという所。
消灯前のアナウンスでは「外洋は荒れている模様です。酔いに弱い方は早く寝ることをおすすめします」との事でした。
冬の太平洋は荒れるといいますが、やはりそうなのね。
しかし、友人宅と船内、ニ連チャンの飲み会後でしたので酔いもまわり、気持よく眠りにつきました。
なお、枕は部屋に備え付けられており、布団は1枚100円でレンタルできます。
二枚借りて、敷き布団と掛け布団として用いることがお勧めです。

1月25日、午前1時10分。
ハッと目が覚めます。
船の様子を見るに、結構な揺れの模様。
左右に大きく揺れています。
おお、ローリング!

船内の移動も、手すり伝いでなければ危ない程です。
取り敢えず手洗いに行って、部屋に戻ってきました。
揺れが激しいときほど、洋式便座の有り難みが身に沁みます。

隣の部屋の様子を伺うと、「ジーザス・・・」という呻き。
エンリコ氏も揺れにやられている様です。
「どんな具合です?」と声を掛けると「中々辛いデスネ」とのこと。
「お互いがんばりましょう」「鰻さんモネ」と励まし合って部屋へ戻りました。

さて、起床には早過ぎる時刻です。
日中には八丈富士のシートゥサミット登山も控えております。
もうひと寝入りしたいところです。
とは言え、船は波高5m(推定)ばかりの荒れ模様の中。
6000トンにもなろうという船が「ギギッ」と音を立てて揺れています。
うまく眠りにつくことが出来ません。

そこで色々と寝方を試してみることにしました。
従来の寝方では、船の船首側に頭を向けて寝ておりました。
この方向を変えてみようというのです。
まずは船の進行方向に対し垂直に。
右舷側へ頭を向けます。
・・・ダメです。
むしろ船のローリング(左右動)に従って、ダイレクトかつ不規則に身体が上下し、てきめんに酔います。
左舷側も同様でした。

では船尾側に頭を向ければ、どうか。
これが正解でした。
船首側では、心の準備なしに被っていたピッチング(上下動)。
これは船首から船尾へと順次波及していきますから、船尾に頭を向けると「揺れが来るぞ」と予期して備えることが出来るのです。
やはり不意打ちと想定済みとでは大違い。
リラックスして休むことが出来ました。

ところで隣室の様子。
はじめは大きな揺れのたびに「ジーザス・・・」という呻きが聞こえてくる程度でした。
しかし大きな揺れが頻発するにつれて、ついにエンリコ氏も観念したらしく。
祈りの言葉を唱えておられる様子。
隣室までもよく聞こえる声量です。
古代の本邦では、外洋航海の際に「持衰」という祈祷師をおいたと言いますが(魏志倭人伝)、これにも通じる真摯な祈りの言葉。
やはり人智を絶するものへの寄託があるのでしょう。

祈りが止んだころを見計らって隣室へ。
エンリコ氏へ「頭を船尾側に向けると良いですよ」と伝えると「やってみまショウ」とのこと。
そして、再び自室へ戻り、眠りにつきました。

午前4時30分、起床。
第一の寄港地、三宅島まであと30分の到着予定です。
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乗船時に聞いた話によると、この時期の三宅島・御蔵島は、波の影響で着岸率が低いとのこと。
島を目前にしても、断念せざるを得ないことが多々あり、基本的には条件付運航が多いそうです。
今回はどうなるのか、と気をもんでいたところにアナウンス。
着岸決行との事。
メイン寄港地である錆ヶ浜港は波が高いため、島の東側・三池港に着岸予定との事でした。
三宅島噴火の際、高濃度地区に指定されていた三池港ですが、復旧していたのですね。
めでたい。

露天甲板へ様子を見に行きます。
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サーチライトの照らしだす正面、船首方向の岸壁。
右舷側の微かな港湾灯。
まごうかた無き三宅島、三池港です。
港を見ると、多くの人が動いており、着岸作業の模様が伺えます。

デッキの扉が開く音。
エンリコ氏がいました。
荷物も整えて準備万端、深夜とは打って変わって元気な様子です。
「おかげ様で眠れマシタ。グッスリデス」とサムズアップ。なによりです。
二人して着岸作業を眺めます。

堤防に打ち寄せる波。
3mはありましょうか。
それを物ともせずアンカーロープが投げられ、船が係留されました。
船員と港湾職員の連携。
まさに職人技です。

ここでエンリコ氏は下船。
お互いの旅の成功を祈って、握手。別れます。
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計30人ほどの乗客が三宅島で下船しました。
乗船者も少数。
すぐに係留索が解かれ、出港シーケンスを開始。
流石に荒天模様。緊急出港です。

そして船は行く。
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徐々に空が白んできました。

残念ながら、御蔵島への寄港は取りやめとなった旨、アナウンスがなされる。
去りゆく御蔵島。
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それもそのはず。
海は結構な荒れ具合です。
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船内にはエレベーターがあるのですが、これも封鎖される始末。
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まあ、これも船旅の醍醐味。
腰を据えて楽しむことにします。

船内ラウンジにある橘丸物語。
これを読むことにしました。
東海汽船・橘丸には先代がおりまして、その歴史が約20のパネルで展示されています。

大型客船「先代」橘丸。
昭和10年就航。
その優美な流線型の姿は「東京湾の女王」とうたわれました。

その栄光と影、再生の物語。
日中戦争で大破した「先代」は修復され、二次大戦においては病院船として活躍。
しかし陸軍による偽装作戦に利用され、米軍に拿捕されます。
帝国陸軍史上、最大の捕虜を出した「橘丸事件」です。
戦時国際法違反の当事者となった船。
戦後、橘丸はその汚名をはらすべく復員船として活躍し、再び伊豆諸島航路のシンボルとなって船命を全うしました。

橘丸物語を興味深く読み終えたころ。
午前7時。
ちょうど良く朝餉時です。
船内レストランへ朝食をとりに行きます。
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夜は酔っ払っていて気が付きませんでしたが、椅子は鎖で床と繋がれています。
脱落防止の知恵。
船内らしい設備の充実です。

さて、カウンターに陣取ります。
オムライスを注文。
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卵は半熟かつふわふわで、なかなかに美味し。
円形の舷窓からみる太平洋。
若干荒れ模様ですが、海を眺めながらの食事は、やはり良いものです。

食後、デッキに上がると太陽が差してきました。
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至極、逆光気味。
しかし、太陽と水平線と雲。
ぽつねんと太平洋を進む船。
クルーズ日和です。

随分と南に来たせいか、デッキにいても寒さは感じず、しばし日光浴することにしました。
デッキを散策したり、通信設備を見たり。
橘丸はJRC(新日本無線)の機器を用いている様です。
新日本無線といえば、オペアンプMUSES(ミューズ)。
良いアンプだよなあ、と独り言つ。

午前8時。
前方に大きな島が見えてきました。
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八丈島です。
中央の富士山型の山が「西山」こと八丈富士。
左側のなだらかな山が「東山」こと三原山。
少し離れた右側の山が「無人島」、八丈小島です。

東京都心がすっぽり入ってしまう面積。
伊豆諸島最高峰と聞いてはいましたが、やはり大きい。
いまから中央の山に登ると思うとワクワクしてきます。

第三甲板の自室に戻って荷物の整理。
10時間を過ごしたこの部屋ともお別れです。
部屋にはコンセントもあり、充電まで出来ました。
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整理完了。荷物をもって露天甲板へ駆け上がります。
海を見ると、エメラルドグリーンの水色。
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亜熱帯に来たことを実感させられます。

八丈島の玄関口・底土港が近づいてきました。
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聳える八丈富士の威容。

着岸作業も滞り無く進み。
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半露天甲板を離れ。
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午前8時45分。
八丈島に上陸です。
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さあ、ここからが遠島記のはじまり。
SEA TO SUMMIT、そして地下深林へ。
亜熱帯の山登りを開始します。

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by katukiemusubu | 2015-02-15 18:34 | 登山・トレッキング・温泉
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