平成26年(2014年)9月4日(木)の山行記録です。
西穂・奥穂間の縦走計画は悪天候により阻まれた。 西穂高岳から焼岳への縦走を試みます。 H26.9.3-9.4登山リンク 前編:ピラミッドピークからの撤退 後編:本記事 時刻は午前6時半。 このまま麓まで下るには早過ぎる時間です。 どうしたものか、と雲の切れ間を覗き込みます。 すると、在るではないか。目の前に。 写真中央、ちょうど雲に見え隠れしている活火山・焼岳(日本百名山)。 ちょうど100年前、大正4年(1915年)に大爆発を起こし、堰止湖・大正池を形成しました。 過去に上高地から登ったことがありますが、西穂高岳からの縦走はしたことがありません。 穂高界隈では比較的マイナーな立ち位置にある焼岳火山群縦走路。 西穂山荘から一旦、標高を200m、2,150m辺りまで落とし、 槍見台へと登り返し、割谷山を越えて、新中尾峠・焼岳小屋(標高2,076m)へと到達します。 そこから比高400mを登って焼岳山頂(標高2,455m)へと達する。
距離4.5km、コースタイム4時間10分の道程です。 豊かな広葉樹林帯のなかを、池塘や巨岩を見つつ歩けるルートとして知られています。 結構なアップダウンがあり、槍穂高にしては珍しく藪漕ぎがあることでも有名です。 これを行くことにしました。 山小屋でのヘリコプター歩荷を見学した後に出発。 カラーリングと尾翼の形を見ますに、東邦航空のエキュレイユ(ユーロコプターAS350B3)かな。 東邦航空は凄腕の民間山岳救助会社でもありましたが、 救助部門の代表、篠原秋彦氏が事故死し、山岳ヘリレスキューからは撤退。 それでもなお、中部山岳地帯の荷揚げには欠かせない、重要な会社です。 上高地側に少し下ると、西穂高岳 焼岳分岐点が出てきます。 これを右へ。 午前8時、焼岳火山群縦走路へと入りました。 コースタイム通りであればお昼ごろには焼岳に到着できましょう。 周りを振り仰ぐと、深い森のなか。 白樺(シラカバ)に羊歯(シダ)。 岳樺(ダケカンバ)。 雨に煙る広葉樹林帯の中をテンポよく上り下りして行きます。 流石にマイナールートということもあって、先達の一人も見かけません。 結局、焼岳小屋に至るまで、すれ違いが一件あったのみでした。 雨粒が葉を打つ音と、自分の足音。 目一杯の緑。 静寂の世界を歩んでゆきます。 きぬがさの池。 中尾根と主稜線に囲まれた典型的な船窪地形です。 樹林帯の保水能力の高さが伺えます。 しかし、その天然のダムは雨の日には災いにもなります。 普段は乾いている登山道も、ご覧のとおり。 見事に湿地帯と化すのです。 足を踏み入れると、くるぶし辺りまで簡単に沈む始末。 これは敵いません。 登山道の端にある立木をよすがに、沈む時間を最小限にして進行します。 どの湿地帯(登山道)も足あと一つありませんでしたから、 この日の朝、焼岳へ向かう縦走路に入ったのは私一人だったのでしょう。 頻発する湿地帯に鈍い悲鳴を上げながら、それでも歩いていきます。 豊かな植生は人の踏み跡よりも強し。 そして時には藪漕ぎです。 胸辺りまで生えた笹薮を押しのけ、押しのけ、進んでいきます。 生命の力強さ。 とはいえ、単に辛いだけではありません。 色とりどりの植物が目を楽しませてくれました。 赤。 白。 黄色。 どの花見てもきれいだな♪ そんなこんなで午前9時、槍見台(標高2,250m)に到着。 縦走路の3分の1を過ぎました。 天気は雨。 残念ながら槍ヶ岳は望めません。 時期は9月。 飛騨山脈(北アルプス)は紅葉の季節です。 ほのかに色付くもみじの葉が、秋の訪れを感じさせます。 槍見台近くの無名の池を通過。 ここからは軽い藪こぎをしながら進んでいきます。 とはいえ、道幅は一人で通るには十分なサイズ。 藪が熊鈴にあたり「カランコロン」と鳴る様子が軽やかです。 9時45分、休火山・割谷山(標高2,224m)を左に巻いて通過。 トラバース路の途中に、残置されたトレッキングポールがありましたが、 ピークハントか、あるいは割谷山のヒカリゴケでも撮影に来られたのでしょうか。 しばらくすると木彫の看板が。 「ヤケダケゴヤ アト 1時間」と書いてあります。 3分の2、終了です。 標高2,229mの無名のピークを越え、焼岳小屋へ。 この辺りは東側に眺望が開けています。 晴れていれば大正池と霞沢岳、抜群の光景が望めましょう。 上高地は見下ろしてこそ美しい。 高山に囲まれた広大な堆積平野、そこには「神降地」と称したくなる程の別天地があります。 10時30分、新中尾峠・焼岳小屋(標高2,076m)に到着。 よく考えてみれば、朝4時からこのかた6時間。 ずっと動き詰めです。 小屋で休息を取ることにしました。 りんごジュースをいただき一息。 西穂高・焼岳間の縦走路は焼岳小屋までは樹林帯、焼岳小屋からは岩稜帯です。 小屋から山頂までの標高差は約400m。 森林限界を越え、活火山らしい荒々しい景観の中を登って行くことになります。 最高地点である焼岳南峰(標高2,455m)は火山ガスの影響で立入禁止。 平成27年現在は、焼岳北峰(標高2,444m)までの立入が認められています。 10時50分、出立することにしました。 小屋の目の前にある巨岩でロッククライミングの算段をつける管理人さんに声をかけ、登山道へ。 第一のピーク「焼岳展望台」へ登ります。 もちろん展望は皆無。 早速ピークを乗越し、中尾峠へと至ります。 11時5分、中尾峠の巨岩(火山岩)。 昔この中尾峠には旧焼岳小屋があり、安曇村(現在の松本市)公営のもと、栄えていたと聞きます。 しかし、昭和37年(1962年)の焼岳噴火により倒壊。 新中尾峠が開削され、こちらに移ることになりました。 いまはただ、巨岩に昔日の面影を写すのみ。 中尾峠からは本格的な急登がはじまります。 それと同時にところどころから噴煙が立ち昇り、地獄めぐりの如し。 強風に倒されていますが、「危険地帯注意」の看板もありました。 焼岳は噴気そのものも危険なのですが、 同時に有史以来、大規模な水蒸気爆発を繰り返しており、各所に爆裂火口が形成されています。 そのため、切れ落ちた尾根や道が多く、通行にも注意が必要です。 岩に書かれた◯(マル)☓(バツ)。 ◯は進行、☓は進入禁止。 この誘導に従って、危険な噴気孔を避けていきます。 岩肌も赤茶けて、火山ムード満点です。 この日の様な悪天候の場合、視界が効かず、指示誘導がなければ噴気孔を回避するのは困難でしょう。 湿気が多く、硫化水素の匂い(いわゆる硫黄の匂い)の感知も遅れてしまいます。 11時25分、標高2,290m地点。 前方に人の気配を感じました。 ガスのためよく見えませんが、かなりの大規模パーティーの様子。 それにしては会話などが聞こえず、不思議な印象を持ちました。 幻でも見ているのかしらん。 はじめは錯覚を疑ったのですが、近づくに連れて気配は濃くなっていきます。 こちらの方が少し速いペース。 歩きながら目を凝らすと、重装備を担いだ人影が複数見えます。しかし、無言。 「まるで八甲田山だな・・・」独り言ちていましたが、当たらずといえども遠からず。 陸上自衛隊の皆さんでした。 後尾の方が私の足音を聞きつけ、目視で確認。 「民間の方が登ってみえますッ!」と声を張り上げました。 するとそれに応えて、後尾から五人ほど前方、分隊長と思しき方が再び目視確認(写真)。 「民間のかた、来まーすッ!」と大音声を発しました。 するとどういう事でしょう。 「民間のかたぁ!来まーすッ!」 「民間のかたぁぁ!来まーすッ!」 伝言ゲームの要領で、上部への伝達が図られました。 先ほどまで無言だった空間が、大いに賑やかです。 そして。標高的にも、おそらくは階級的にも上部から、 「全隊、止まれッ!」との下命がなされました。 これまた「ぜんたーい!とまれッ!」「ぜんたい!とまーれッ!」と伝達が図られていきます。 わずか30秒ほどで意思伝達が完了し、大規模パーティーは停止しました。 近づくと分隊長と思しき方が「どうぞお通りください」と笑顔で道を譲ってくれます。 「ありがとうございます」 お礼を言って、通らせてもらうことにしました。 都度、お礼を言いつつ、隊員方の間を通り抜けていきます。 通信設備と思しき、アンテナ付きのザックを背負った人。 歩荷訓練のためか、巨大な背嚢を背負った人。 全体的には普通科(歩兵)と思われる方が多いのですが、 施設隊(工兵)や後方支援隊(通信兵)らしき方々も見受けられました。 総勢で40人程いらっしゃいましょうか、小隊規模の編成です。 果たしてこれは、どういった部隊かしらん。 40人を追い抜くというのは意外と労苦がありまして、待って貰っている手前、 どうしても早足となってしまうこともあり、喘ぎ喘ぎ考えます。 折よく隊の前方に二等陸尉(中尉)、将校の方がいらっしゃいました。 「下線一つに桜の花二つ」の階級章(略章)。 間違いなく尉官です。 この方が指揮官だろうと見定め、お尋ねすることにします。 「譲っていただき有難うございます。陸上自衛隊の方とお見受けしますが、どちらのご所属ですか?」 「いえ、こちらこそご迷惑をおかけしました。我々は松本の第13普通科連隊のものです」 「!!」 説明しましょう。 松本駐屯地、第13普通科連隊とは陸自第12旅団隷下の精強山岳部隊です。 第12旅団は北関東・信越の防備を担当。 ヘリコプターを中心とした空中機動力を有し、 有名なところでは御巣鷹山の日航機墜落事故(1985年)における活躍が知られています。 その中でも第13普通科連隊は、部隊レンジャー訓練の特殊性で高名です。 山岳戦に重きをおいたその姿勢は、陸上自衛隊三大レンジャー訓練に数えられます。 「そうでしたか!あの山岳レンジャーの」 思わず口をついて出た言葉に、 小隊長と思しき方は相好を崩し、 「ご存知ですか!」と満身の笑み。 いろいろと教えてくれました。 朝、新穂高側の中尾高原登山口から山に入り、焼岳を登った後、上高地側へ下る予定だそうです。 「訓練に活火山を選ばれるとはご熱心ですね」等と少々立ち話。 あまりお時間を取らせても悪いので、 「頑張って下さい、応援しています」と告げて、先を急ぐことにしました。 「全隊、進めーッ!」 号令が背中から聞こえてきます。 一斉に動きはじめる気配。 せっかく道を譲ってもらったのに、追いつかれてしまっては申し訳が立ちません。 少しテンポを上げて歩いていきます。 岩稜帯を乗り越え、 北峰の肩に到達し、 一路、岩にかじりついて登攀。 写真真ん中にみえる黄色い部分は噴気口。 勢い良く火山ガスが吐き出されています。 後ろをみると第13普通科連隊の皆さんも結構なハイペースで登ってみえます。 あの重装備で、軽装の私とほとんど変わりない速度。 標準コースタイムを30%程度短縮するペース。 流石は精強で知られる部隊です。 平地の三分の二ほどしか酸素のない高所(しかも火山)で、何故か自衛隊とデッドヒート。 あまりの非日常具合に思わず笑みがこぼれてきます。 誘導にしたがい、危険箇所を回避しつつ上へ、頂へ。 11時45分、焼岳頂上(北峰、標高2,444m)に到着しました。 景色はというと殆どガスの中。 残念ながら火口湖・正賀池は望めませんでした。 昼食の時間とすることにします。 3分ほど後、自衛隊の方々も登頂。 写真を撮ってもらったり、逆にこちらが撮ったりしておりました。 大判の部隊旗を用いて記念撮影。 12時。下山することにします。 二時間半ほどで中の湯温泉へ下れる「新中の湯ルート」を選択。 自衛隊の方々に別れを告げ、再び岩稜帯を降りていきます。 この三週間後、9月27日(土)。 岐阜長野県境の活火山、御嶽山(標高3,067m)が噴火。 57人が死亡、6人が行方不明という近代登山史上屈指の大惨事となります。 これに対し陸上自衛隊第13普通科連隊は、山岳最精鋭の部隊として同地へ災害派遣されます。 訓練ではなく、現実の課題として活火山の山岳救助に取り組むことになりました。 その様な未来が待ち受けているとは、彼らも私も、知る由もなし。 さて、下山です。 北峰・南峰間の鞍部に降り立ち、焼岳の南東斜面を降ってきます。 大変広い沢となっており、灌木が生い茂り、お花畑の様。 道もよく整備されており、流石はメジャールートです。 写真は登山道から、下堀沢を望んだもの。 「堀沢」の名の通り、中央が大きくえぐれています。 所々に巨岩がごろり。 これは4000年前の溶岩流の爪あと。 焼岳の歴史上でも最大規模と目されている噴火の痕跡です。 12時45分、新中ノ湯ルートの広場(標高2,050m)。 この直前に「中ノ湯ルート」(旧道)との分岐が在るのですが、ロープで封鎖されていました。 本当は撮影適地なのですが、頂上は相変わらず雲の中。 色付き始めた木々の朱色が、雨露に鮮やかです。 上空を見ると本格的な雨雲が接近。 さくさくと降りて行くことにします。 人気の登山道ということもあってか、充実した整備。 大きな湿地帯には木道が掛けられており、裾を汚すことなく通行することができます。 やがて道は尾根筋の急な下りに差し掛かり(写真は山側を望んだもの)、 道の脇に廃車を見て5分ほどで、 舗装道との合流点、焼岳登山道入り口に出ます。 13時30分、下山。 中の湯温泉旅館まではショートカットルートを用い、 旅館からは車道を歩いて、中の湯バス停へと向かいます。 車道とはいえ険道と名高い安房峠を越える道。 つづら折りが頻発し、徒歩で行きますと結構な時間がかかります。 焼岳登山道入口から中の湯バス停までの標準コースタイム下り50分、上り70分ほどでしょうか。 バス停から梓川の渕を覗き込みますと、すっかり濁流。 上流は相当な降雨量となっていましょう。 梓川沿いの秘湯卜伝の湯(訪問記リンク)に入った後、バスで新島々駅へ向かいました。 新島々からは電車を乗り継ぎ、上諏訪へ。 上諏訪温泉郷・片倉館を訪れます。 片倉館(日帰り650円)は昭和初期に建てられたモダンな温泉保養施設。 洋風に設えられた館内は、昭和ロマンの風雅が感じられます。 オーナーの片倉工業は世界遺産・富岡製糸場(群馬)の最後の民間所有者でもありました。 千人風呂と称される大浴槽は、千人とは言いませんが百人は入れそうなサイズ感。 水深が1.1mと深く、気軽に全身浴が出来るのも特徴的です。 上諏訪温泉の泉質は単純温泉(アルカリ性)なのですが、 断層湖たる諏訪湖の影響か、源泉温度が高く、保温効果に優れています。 個人的には関節痛に効き目があり。 更に上諏訪駅の改札内にある足湯(旧露天風呂、無料)で上がり湯と洒落込み、東京へと戻りました。
by katukiemusubu
| 2015-05-19 22:52
| 登山・トレッキング・温泉
|
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