「諸君も知ってるだろうが、あの姥子と云うのは山の中の一軒屋で
ただ温泉に這入って飯を食うよりほかにどうもこうも仕様のない不便の所さ」 ーー夏目漱石著「吾輩は猫である」より抜粋。 時は移ろい、平成年間。 相変わらず山の中の一軒屋ではありますが、ついに飯の提供すら無くなりました。 しかし、それでも好事家は集う。 そんな希少な日帰り温泉「姥子 秀明館(うばこ しゅうめいかん)」の訪問記です。 感想・レビューなどを書き置きます。 HPなし、宣伝なし、観光案内への掲載なし。 団体(6名以上)不可、乳幼児不可、写真撮影(内部)不可。 ペット連れお断り、酒類持込お断り。 定員制ですが予約もできませんし、湯が湧いていない時すらあります。 しかして、利用料金は御一人様2,300円から。 知る人ぞ知る、と申しましょうか。 知っている人しか来ませんし来れない温浴施設、それが今回ご紹介する姥子秀明館です。 そもそもガイドブックに載ってさえいません。 その存在を知るには、誰がしかの口コミが必要です。 口伝で存在を知り、条件にたじろぎ、それでも足を運ぶ。 そんな湯治場が箱根にあります。 箱根 秀明館。 明治35年(1902年)に創業し、明治末から大正年間にかけて建造された湯治宿です。 以来、平成16年(2004年)に至るまで旅館としての経営が為されて来ましたが、 同年に箱根湯本の天山湯治郷が温泉権の譲渡を受け、翌平成17年(2005年)天山のもとでリニューアル。 現在は、立ち寄り湯としての経営が為されています。 天山湯治郷と言えば、箱根でも屈指の人気を誇る温浴施設です。 「天山」「一休」の二つの立ち寄り湯を擁し、湯治宿「羽衣」を兼ね備えたその姿はまさしく温泉郷。 平成27年(2015年)には旧東海道沿いの老舗「雀のお宿 春光荘(現:養生館 はるのひかり)」の改装にも参画しました(※)。 しかし、天山温泉郷の公式HPにも秀明館の項目はありません。 HPの片隅に「姥子秀明館は本日(9/17)より再開させて頂いております」との記載があるのみです。 箱根大涌谷からの距離、わずか934m。 2015年6月30日には噴火警戒レベル3(入山規制)が発令され、周辺は警戒区域(立ち入り禁止区域)に指定されました。 そして7月1日の噴火。 秀明館そのものは避難区域外でしたが、火山性地震が相次ぎ休館となりました。 2015年9月11日、噴火警戒レベルが「3」から「2」(火口周辺規制)へと引き下げ。 これに伴い急ピッチで整備を進め、9月17日、再開に漕ぎ着けたという訳です。 そんな再開直後の秀明館を訪ねて参りました。 公共交通機関を用いて秀明館へと赴く場合、伊豆箱根バスの「小田原〜湖尻〜箱根園線」を用いる必要があります。 「姥子」バス停下車、徒歩3分で到着。箱根バスフリー(1,700円)の利用がお勧めです。 箱根登山バスの「小田原・桃源台(湖尻)線」にも「姥子温泉入り口」というバス停がありますが、 これは「姥子温泉(へ通じる山道への)入り口」という意味でして、まったく違う所に出てしまいます。 距離1.5km、標高差100mの山道を登れば姥子温泉に到着できますが、とんだ回り道となってしまい、オススメできるものではありません。 箱根の交通をめぐって小田急グループと西武グループが激突した「箱根山戦争」。 この影響で、箱根登山バス(小田急系)の地図には伊豆箱根バス(西武系)の路線が記載されておらず、注意が必要です。 箱根山戦争の前半、西武グループを圧倒的優勢たらしめた早雲山線(現・県道734号線)を記載するのが、よほど嫌なのでしょうか。 閑話休題。 ともかく、その早雲山線沿いに姥子秀明館は御座います。 県道沿いに設けられた小さな看板を見逃さないようにして、敷地内へ。 二本の石柱の間をくぐり、しばらく進むと姥子の森のなかに、古い木造建築が姿を現します。 墨黒の壁に、朱色の屋根。 築100年を超えている筈ですが、メンテナンスが行き届いており、綺麗な外観です。 渡り廊下をくぐり、正面玄関の引き戸を開けると、目の前には帳場があります。 すぐにスタッフが気付き「ようこそお出で下さいました」と声を掛けてくれました。 歓迎の声に会釈を返し、靴を脱いで、上がり框をのぼります。 そのまま帳場へ。 秀明館は、貸部屋付き4時間制の立ち寄り湯です。 12室の部屋があり、2名定員の小ぶりなもの(一人2,300円)から5名定員の大きなもの(一人3,100円)まで、変化に富んでいます。 元の湯治宿の客室を改装して用いており、どの部屋もバス・トイレは無し。 大正年間の建物ですので、エアコンもありません。 川のせせらぎが心地よい一階の客室に、見晴らしの良い二階の客室。 二階の部屋は洋室で、広さは12畳ほど、晴れた日には富士山が望めます。 古い建物ですが、どの部屋も掃除が行き届いており、塵ひとつありません。 標高885m。夏は涼しく、冬は寒い。 冬は水道が凍結することがあり、2月は臨時休館となることがあります。 秋雨降る10月の平日ということもあってか、部屋に余裕があり、少し広めの客室をお借りすることにしました。 10畳の中部屋、一人2,500円也。 人数に関わりなく、利用料金は不変です。 多人数で使っても安くなるわけではなく、例えば中部屋を三人で使った場合の総額は2,500円×3=7,500円となります。 スケールメリットと逆行する価格設定。少人数でのご利用がお薦めです。 フロント兼客室係(仲居)のスタッフさんに案内されて客室へ。 「今日は寒いですから・・・」と石油ストーブを燈してくれました。 室内にはホットカーペットもあり、どちらも点ければ冬でも暖かく過ごせます。 網代編みの天井に木製の卓。畳敷きの床に座布団。伝統的な旅館様式の和室です。 卓上には、急須と茶碗。二煎分の茶葉が用意されており、自由に利用できます。 室内は禁煙、屋外(中庭)に喫煙所あり。 また個々の客室の他に、洋風な設えの休憩室(共同)があります。 ここにはビールを含む飲み物の自販機の他、汲み立ての天然水が用意されており、天然水は自由に飲用できます。 マッサージチェアが二脚に、ちょっとした書棚が一つ。 浴室に近く、湯上がりの休憩に適しています。 煤竹を用いた天井がチャーミング。 15時以降は入浴のみの利用を受け付けており、その場合には休憩室の利用が最適解となりましょう。 入浴のみの場合の入館料金は一人1,800円。 ハンドタオルとバスタオル(レンタル)が付いてきます。 客室利用の場合は、大小タオルの他に浴衣も付いてきます。 部屋を拠点に4時間、服の脱ぎ着を気にせずに気軽な出入りを繰り返せるため、浴衣の貸出は実に有難いことです。 帰る頃には、浴衣も水分を吸ってすっかり重くなり、湯帷子としての本旨を全うしてくれます。 また客室の隅には無印良品の「体にフィットするソファ」が置いてあるのですが、湯浴み後にこれに座ると快適さがいや増します。 通称「人をダメにするソファ」は伊達じゃない。 更に、畳でゴロゴロしつつ、寝そべって箱根の森を望めば、もはや至福の時間。 交通量の少ない早雲山線沿いの温泉であるため、一切の喧騒から離れて湯浴みに没頭できます。 そういった次第で、基本的には個室休憩を含む利用がお薦めです。 案内後、しばし茶をすする。 深い森をたゆたう霧雨。しずかに流れる小川のせせらぎ。 幽仙境に遊ぶ心地があります。 四時間という時間は絶妙な設定で、長すぎず短すぎず、起承転結をもって行動できます。 茶を呑み、すこし書き物をして30分。 浴衣に着替え、半纏を着込み、浴室へ行くことにしました。 姥子温泉秀明館の湯殿は、若干の上り階段を経て湯治棟とつながっています。 屋根上の櫓(煙出し)から濛々と湯気を発している建物が男性用の湯殿です。 女性用の湯殿はそこから渡り廊下を進んだ所にあり、独自の休憩処(和風)を備えているのだとか。 写真でお気づきになるかも知れませんが、湯殿の背後には森が迫っています。 木々の植生を見ていただくと、森の勾配はかなり急です。 急勾配の森、もはや崖と言っても差し支えありません。 この崖、地質学的に言えば、末端崖と呼ばれるものです。 3000年前の神山大爆発(箱根最新の大噴火)によって生じた岩屑なだれが基層をなし、 これに続いて発生した、冠ヶ岳形成に伴う火山砕屑物(テフラ)が上層をなしています。 箱根冠ヶ岳は溶岩ドームであり、非常に粘性の高い溶岩であったため、溶岩流ではなく火砕流が発生しました。 火砕流は幾度と無く発生し、勢いの強いものでは静岡県側まで流出したものもありますが、その内の末端の一つがこの場所です。 流出の末端には基層と上層の高低差、すなわち末端崖が構成され、まさにこの崖から湯が湧出しています。 末端崖から滔々と湧き出る自然湧出の温泉。それが姥子の湯です。 湯屋は屋内に末端崖を取り込む形で設置されています。 そのため湯屋に入ると、比高5mはあろうかという天然の岩壁がドーンとそびえ立っており、度肝を抜かれます。 よく見てみると、岩盤のところどころから温泉が出ており、湯気が渾渾と立ち込めている状態。 湯勢は激しく、まるで滝の様です。その滝をまたぐ様に、注連縄が渡されています。 深さ1.2mほどの「滝壺」ならぬ「湯壺」もすっかり満たされ、隣り合った湯船にザブンと越水しています。 「出で湯」とはこういう物なのか、言葉通りの情景に感心しきりです。 先に、この温泉について「湯が湧いていない時すらあります。」と申しました。 その理由はご案内の通り、この温泉が完全な自然湧出泉であるからです。 私が訪れた時の様に、滝のように轟然と湯を吐き出す時もあれば、 逆に殆ど枯渇し、ほんの数滴がこぼれ落ちるだけの時もあります。 一般には春に湧出をはじめ、夏に最盛期を迎え、秋から徐々にその量を減らし、冬には枯渇することが多い様です。 また降水量にも左右され、降水の三日後から湯量が増えると言われています。 自然湧出のメカニズムは未だ完全には解明されていませんが、 おそらくは大涌谷や箱根の中央火口丘(神山・冠ヶ岳)に降雨が浸透し、浅層の地下水として蓄積。 これが地下の熱源に温められた火山性水蒸気と反応して温泉になり、姥子の末端崖に出て来ているのではないか。 そう考えられています。 話を総合すると、もっとも狙い目なのは梅雨時に訪れることです。 人少なくして、湯量多し。 次点が、雨のあった夏の日か、あるいは秋雨の日でしょうか。 そんな秋雨降る日に訪れましたので、湯量は満タン。 源泉をそのままに流す熱湯(あつゆ)の浴槽も、源泉を熱交換器に通して冷ます温湯(ぬるゆ)の浴槽も、湯船からなみなみと温泉が溢れだし、浴室の床すら満たしています。 見たところ、湧出量は毎分150リットルほどありましょうか。 豪快な源泉掛け流し温泉と化しています。温泉愛好家、垂涎の景色です。 なお熱湯はもちろんの事、ぬる湯もチタン鋼管の熱交換器を使用することで無加水・無加温を実現。 引湯管は熱交換に用いるだけですので、循環式ではなく100%かけ流しとなっています。 姥子の湯のPHは3.3。弱酸性の性質を持ち、細菌は死滅するため塩素消毒も不要です。 泉質第一に行動している天山グループらしく、浴場に洗い場はありません。 石鹸もシャンプーも使えませんが、PHから言って、よく掛け湯さえすれば衛生面の問題は無いと申せましょう。 ザバザバと掛け湯をして、ぬる湯の湯船に浸かります。 石組みの枠に、天然の地肌を用いた床。深さは80cmほどありましょうか。 よく見ると床からもコポコポと気泡が上がっており、地面からの湧出もある様です。 末端崖からの自然湧出+若干の足元湧出。 乳頭温泉郷「鶴の湯温泉」の露天風呂や尻焼温泉の野湯「川の湯」を思わせるものがあります。 ぬる湯の温度は42度程度。すこし熱めの設定です。 湯船の脇に、熱交換器からの導管が通じており、そこから勢い良く湯が供給されています。 湯船の外にまで溢れ出ているため、浴室は洪水状態。 景気の良い事で素晴らしい。 15時前の秀明館は、最大30名程度の客しか入れないため、殆ど人と会うという事がありません。 つまりは10人は入れるであろう浴槽を独り占め。 そして、源泉との距離は限りなくゼロです。 鮮度抜群・湯量豊富。 掘削自噴(ボーリング)でなければ、動力揚湯(ポンプアップ)でもなく、もちろん造成泉ではありません。 造成泉その他が嫌いな訳ではありませんが、やはり完全自噴は希少なもの。 掛け値なしの自然湧出源泉を全身で味わえる喜びに「ああーー」と息が漏れます。 姥子温泉の泉質は単純温泉。 単純温泉というと、まるで質の低い湯の様に聞こえてしまいますが、然にあらず。 「単純」とは溶存物質量が1000mg/1kg以下という事を指すのみで、質の上下を云々するものではありません。 掲示の成分分析表によれば、姥子温泉(元箱根4号源泉)の溶存物質量は676mg/1kg。 そのうち312mgは硫酸イオンで、239mgはメタケイ酸です。 硫酸イオンとは石膏やら明礬の元となるもので、老廃物の排出に効き目があります。 メタケイ酸とは天然の保湿成分とも別称されるもので、化粧水の様に肌にうるおいを供給します。 特にメタケイ酸が200mgを超えた温泉は、全国的にも稀(まれ)です。 姥子温泉の場合、温泉法の定義(50mg以上)の五倍近い数値ですから、尋常ではありません。 優れた保湿・保温効果と毒素の排出作用。 「姥子」の名は、足柄山の金太郎(坂田金時)が山姥のすすめで眼病を治したという開湯伝説に由来しますが、それも頷ける効能と申せましょう。 温泉と言いますと、最近では鮮度も重視される様になってきました。 一般に、単純温泉の場合は新しければ新しいほど良く、濃厚な温泉の場合は一定の熟成を経たほうが良いとされています。 そして姥子温泉は単純温泉ですから、新鮮であれば新鮮であるほど素晴らしい。 秀明館の場合、どちらの浴槽につかっても目の前で湧き立てホヤホヤの湯が味わえますから、理想的な湯使いです。 天然のライブキッチンとでも言うべきでしょうか。 さて、熱湯にも入ってみましょう。 弱酸性低張性高温泉に分類される姥子温泉。 天山かわら版によれば、源泉温度は43度から53度です。 高温泉の名に恥じぬ泉温。 温度が10度ばかり変動して表記されているのは、この温泉が火山性のものだから。 地熱の力の強弱により、源泉温度もまた変動するのです。 試みに片足を突っ込んでみると、痺れるような熱さ。 痺れを越えて、痛みを感じるほどです。 思わず「うわぁあっぢいいいいい!」と叫んで、飛び退きました。 箱根の噴火前、平成26年の夏にも訪れたことがありましたが、これ程は熱くなかった筈。 びっくりして、備え付けの温度計を見ると針は「62度」を指しているではありませんか。 10度近く泉温表記を振り切っています。 ごく小規模とはいえ、箱根大涌谷が噴火してからたった2ヶ月。 噴火の影響が伺える、有意な温度上昇です。 姥子温泉の源泉層は地下50~100mにあると言われていますが、この辺りの地熱に変動があったのでしょう。 マグマが昇ってきている、という事なのかしらん。 ともあれ流石に60度超の湯には入れません。 いままで入ったことのある最高温度の温泉。 これは湯田中温泉・大湯(59度・水埋め禁止)かと思いますが、2分が限界でした。 湯殿の壁に立てかけてあった湯もみ板を手にとって、せっせと湯揉みをいたします。 何故か箱根で草津節。姥子よいとこ〜♪一度はおいで〜♪ 5分ほど撹拌を繰り返したでしょうか。 手を入れてみると48度くらいに温度が下がっています。 その間にも湯壺から源泉があふれ、あつ湯の浴槽温度は上昇中。 早速入浴です。 痺れる熱さに呻きを漏らしつつ、ゆっくりと全身を沈めます。 あつ湯浴槽の床も天然の岩盤で、足元湧出がみられました。 温度が下がったとはいえ那須温泉・鹿の湯なみの高温浴槽。 はじめは苦悶の表情を浮かべておりましたが、暫くすると楽になってきます。 体の周りに薄い皮膜が出来たような心地。 熱いことは熱いのですが、どこか包み込まれる様な感覚で、すっかり寛ぐことが出来ます。 これは温泉ならではの現象で、沸かし湯ではこうはいきません。 コロイド(微粒子)化した溶存成分が身体の周りを覆い、文字通り包み込んで守ってくれているのです。 そのため高温にありがちな、キシキシとした刺激の強い湯触りではなく、ふんわりと撫で擦るような優しい湯触りが実現されます。 姥子の湯は無色透明。若干の酸味と硫化水素臭を持ちますが、特筆すべきはその重さです。 トロリと全身を覆い、柔らかく身体を揉み込む様な重み。 どこか官能的な面持ちさえあります。 一人を良いことに「はふう」と息を付いて、のんびりと湯浴みを楽しみました。 ときおり湯壺に顔を突っ込んで目を洗う。 湯が枯渇している時には金ダライで掬う他ないのですが、向こうから迸り出る今ならば、ひょいと顔を動かせば事足ります。 湯壺への入浴は禁止されていますが、開湯伝説から、目を洗うことだけは許されているのです。 浴場には湧き水の飲水場が備え付けられています。 時に湯揉みし、時にあつ湯に入り、時に木板の床に座り込んで水を飲み、又ぬる湯に至る、といった寸法で時間の使い方も自由自在です。 40分ほどを過ごし、人と入れ違いに自室へと戻りました。 酒類の持ち込みは禁止されていますが、その他の飲食物の持ち込みは自由です。 新たにお茶を淹れ、小田原駅で買った駅弁を食べて遅めの昼食に致します。 たっぷりと時が過ぎた様に思われましたが、実際には2時間程度です。 秀明館の貸部屋。以前は一日制でしたが、平成19年(2007年)以降は4時間制となりました。 しかし長すぎず、程よい塩梅です。 なお、倍額を払えば一日貸し切ることも可能です。 浴衣を着たまま、つっかけを借りて、秀明館の周辺を散歩します。 秀明館からは大涌谷へと通じる登山道があるのですが、噴火警戒の為、現在は封鎖中。 その入口に箱根権現と薬師如来、姥子(山姥と坂田金時)を祀ったお堂があり、参道には石仏群が安置されています。 霧煙る森のなかに姿を現す地蔵菩薩と社(やしろ)。 いまは何時代であったかと考えてしまうような景色で、時が止まっています。 散歩から戻り、湯殿を覗くと無人の様子。 もう一風呂浴びに行くことにしました。 再び湯揉みをし、あつ湯に入ったり、ぬる湯に入ったり。 時刻は16時過ぎ。 ぼーっと半身浴に浸っていたら、湯守りの方がやって来て浴室の電灯を燈してゆきました。 山中にある姥子温泉は日の入りが早く、秋でも16時過ぎには薄暗くなります。 岩壁の近くに吊るされた裸電球がボゥと光を発す。 溢れ出る湯の音、櫓から入り込む秋の風、岩壁と湯船を優しく照らし出す橙色の光。 なんともレトロです。レトロスペクティブ箱根。 自然湧出の温泉(元箱根4号泉)の量が少ない場合には、敷地内にあるもう一つの源泉(元箱根20号泉)の湯を用いて、湯船を満たすのだとか。 元箱根20号泉は動力揚湯泉、ボーリングとポンプアップを用いて汲み上げている温泉だそうで、4号泉とは少し泉質が異なります。 若干硫酸イオンが強く、硫黄泉寄りの性質を示しているのだとか。 逆に自然湧出泉に余裕が有る場合は、貸切風呂にその湯を満たし用に供するとのことです。 貸切風呂は1時間1,000円/人の追加料金で利用が可能で、ここのみ石鹸・シャンプーの利用が可能です。 「電話予約は承れませんが、温泉の湧出状況についてお電話いただければ、お答え致します」とは湯守の弁。 なお部屋が満室である場合は、敷地内での待機者に限り、空き待ちを受け付けるそうです。 とはいえ、4時間制ですから長時間待つことにもなりかねず、開館早々に来て部屋をとってしまった方が宜しいでしょう。 湯から上がり、厠を借り(ウォッシュレット付き)、部屋へと戻ります。 身支度を整え、お茶を一啜り。 帰りしな、帳場を覗くと湯守(支配人)がいらっしゃいました。 「お世話になりました」と声を掛けると、 立ち上がって頭を下げ「有難うございます。ぜひ、またお越しください」と丁寧なご挨拶。 靴紐を絞って、外の様子を見ると雨のようです。 「雨で足元が危のうございますから、どうぞお気をつけて」という声に見送られ、秀明館を後にしました。 類稀な自然湧出泉を存分に楽しめる温泉場「姥子 秀明館」。 古式ゆかしい湯治場の雰囲気を残しつつも、 外観、内装、スタッフの対応ともに非常に洗練されており、その価値は十二分です。 ルールが多く、また値段も高いため、決して万人にお勧めできるものではありませんが、 その厳粛さ、その高価さに価値を見い出せる方々には是非おすすめしたい温浴施設です。 どうか少人数で、密やかにお出かけ下さいませ。 <施設情報> 名称:姥子 秀明館 住所:神奈川県足柄下郡箱根町元箱根110-1 電話番号:0460-84-0026 営業時間:4月から11月 10時から18時まで(受付終了17時) 12月から3月 10時から17時まで(受付終了16時) 休館予定:毎月最終木曜日(2月は臨時休業日あり、要問合せ) 入館料:4時間制・部屋貸付2,300円から3,100円/入浴のみ1,800円(入浴のみは15時以降受付) ※おまけ:天山湯治郷について 記憶のままに書いておりますので、間違いがあるかも知れません。 その点、ご承知おきの上、御覧ください。 天山湯治郷は、昭和41年(1966年)、奥湯元温泉の旅館「春光荘」系列の離れ湯としてオープンしました。 はじめは「春光荘」宿泊者専用でしたが、後に一般に開放され日帰り湯となります。 当時、箱根の温泉は泊まりが主体で、日帰り温泉は殆ど無し。 「あの高名な箱根の湯を日帰りで味わえる!」ということで好評を博し、観光客が詰めかけました。 昭和51年(1976年)にはJTB「入って見たい露天風呂ベスト50」の伊豆・箱根部門において第一位を獲得します。 とはいえ、当時の仕様は掘っ立て小屋に毛が生えたようなもので至って簡素な造りであった様です。 昭和59年(1984年)にはユネッサンの前身となる「サンシャイン湯〜とぴあ」が小涌園に開設。 これを切っ掛けに、箱根に日帰り温浴施設ブームが到来します。 80年代を通じて天山の来場者数も拡大し、一日平均600人を数える様になりました。 流石に仮設の温泉小屋ではどうにもなりません。 そこで天山は昭和61年(1986年)より改装に着手。 現在の天山湯治郷の原型となる「雲遊天山」へと順次リニューアルを果たして行くことになります。 昭和62年(1987年)湯処「雲遊天山野天風呂」オープン。 平成3年(1991年)食事処「七瀬」・「楽天」オープン。 平成5年(1993年)湯処「一休」オープン。施設名を「天山湯治郷」へと改称。 平成10年(1998年)湯処「天山」を改装し、野天風呂をメインとした配置に再構成。 平成12年(2000年)湯治宿「羽衣」オープン。前年買収した会社保養施設を改装。 平成14年(2002年)湯処「天山」に御休み処を増設。湯処「奥の湯」を新設。食事処「七瀬」を「山法師」に改装。 平成17年(2005年)ギャラリー「風だより」オープン。 こうして現在の「天山湯治郷」が完成しました。 天山のオーナー(主人)兼代表取締役社長は鈴木義二氏。 天山の館内新聞「湯治郷の瓦版 みだれかご」の発行人でもあります。 氏は箱根生まれで、70年代より天山の経営に関わってきました。 天山湯治郷のマスターアーキテクト(主任建築家)は海老沢宏氏。 鈴木氏と海老沢氏は、「雲遊天山野天風呂」(1986)に始まり、「ギャラリー風だより」(2005)に至るまで、足掛け20年に渡りタッグを組み、現在の天山湯治郷を形作りました。 専門家が「宗教施設のようだ」と述懐するほどに、一本筋の通った天山湯治郷の構成。 これはまさしく、両氏の個性によるものです。 所有者と建築家のタッグの代名詞といえば、代官山「ヒルサイドテラス」(朝倉不動産+槇文彦)が思い浮かびます。 「天山湯治郷」の20年は、「ヒルサイドテラス」の30年に比肩する、長熟の文化施設創造と申せましょう。 天山と春光荘(オーナー兼支配人は米山雄二郎氏。ホタル繁殖の名手として知られる)は、現在でも「親戚筋」との事(「養生館はるのひかり」パンフレットより)。 温浴施設としては本家筋に当たる春光荘の改装にも参画できるあたり、鈴木氏の影響力の大きさが伺い知れます。 そんな鈴木氏が「採算度外視で湯守り・堂守りに徹する」という姿勢で運営しているのが、今回ご紹介した「姥子温泉 秀明館」です。 改装設計はもちろん、海老沢宏氏が担当しました。 料金について、さんざん「高い高い」と言い立ててきましたが、正直に言うと、運営・維持にかかるコストを考えてみれば、殆ど儲けは出ていない様に思われます。 箱根火山が活発化する昨今、いつまた噴火(水蒸気爆発)が起こるかは定かではありませんが、出来うる限り応援し続けたい温浴施設群です。
by katukiemusubu
| 2015-10-17 00:38
| 登山・トレッキング・温泉
|
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