寝袋の使用可能下限温度に関するお話。
8月31日、国産アウトドアブランド「ファイントラック(finetrack)」の2018秋冬モデルが発表されました。 同社独自の保温素材・ファインポリゴンを使用した寝袋もリニューアルされ、秋冬用シュラフのラインナップが復活しました。 しかし、これを見てビックリ。 同等品の寝袋について下限温度の表示が著しく変化、というか悪化しているのです。 従来の秋冬用シュラフ「ポリゴンネスト 12×8」の更新モデルである「ポリゴンネスト オレンジ」を例に取ってみると、 重量こそ980gから940gへと40gの軽量化を果たしましたが、耐寒温度は著しく劣悪化。 従来、「使用可能下限温度:-14℃」と表示されていたものが「T Limit:-2℃」と12度もスペックが落ちています。 (※ポリゴンネスト12×8の紹介ページはファイントラック公式から削除されているためカモシカスポーツ通販サイトから引用しております) 重量級の厳冬期用シュラフ「ポリゴンネスト 16×12」の更新モデルである「ポリゴンネスト レッド」は更に劣悪です。 重量は1250gから1280gへと30gの重量増となり、「使用下限温度:-21℃」が「T Limit:-7℃」へ。 その差、14度というにわかには信じ難い程のスペックダウンが生じています。 (※上記と同じくポリゴンネスト16×12のスペックはカモシカスポーツ通販サイトからの引用です) 一体何故なのか? この差異の直接的な原因は、温度試験の基準を切り替えたことにあります。 ファイントラック社は、2018年の秋冬モデルから、その製品の温度試験基準を、自社基準から国際基準(EN・ヨーロピアンノーム)へと切り替えました。 ヨーロピアン・ノームとは、欧州標準化委員会(CEN)の制定している国際試験基準で、寝袋についてはEN13537が用いられてきました。 2016年に改訂が行われ、2018年に更新。現行最新の基準はEN ISO 23537 (とりわけ23537-1)A1「熱および寸法要件」です。 アウトドアギアについては、各社独自の基準が乱立し、そのスペック比較をし辛いという難点がありましたが、 EN規格の登場により、各社の色眼鏡によらない、公平な比較基準が生まれました。 日本国内の各社もヨーロピアンノームに対応し、 現在では最大手のモンベルや、寝袋老舗のナンガといった各種ブランドもEN基準の表示に対応しています。 基準の切り替えに伴い、ある程度の差が生じることは当然想定されるのですが、 それにしても、今回のファイントラック社の基準切り替えで生じた「十度超」という差は、通常では考えられない程の大差です。 平成26年(2014年)にモンベルがENに対応した際、一ケタ程度の差が生じたことはありましたが、流石に12度や14度という大差は見た記憶がありません。 一体全体、何がどうしてこんな差異が生じているのか。 その検証をすべく、 従来のカタログに掲載されていた使用可能下限温度の説明と 他社におけるヨーロピアンノーム基準の説明を見比べてみました。 一枚目がファイントラック社、二枚目がナンガ社の説明です。 これによるとFT社は自社設定の使用下限温度について、 「一般男性が若干の寒さを感じながらも体を丸まれば寝続けられる温度」と説明しています。 「一般的な成人男性が寝袋のなかで丸くなり、8時間寝られる温度域」という、 ヨーロピアン・ノームのLimit温度の説明に限りなく近しいものです。 違いがあるとすれば「若干の寒さを感じながらも」という点ですが、 これが意味する含意は、従前の説明では明らかにされていませんでした。 そこでファイントラック社が今回の秋冬モデルのプレスリリース(PDF)9ページ目で示した、 European Norm基準に基づく審査結果を見てみましょう。 オレンジ(旧 12×8)がComfort4℃:Limit-2℃:Extreme-17℃、 レッド(旧 16×12)がComfort-1℃:Limit-7℃:Extreme-24℃となっています。 Extreme温度(極限温度/エクストリーム温度)は-17℃と-24℃。 従来モデルに表示されていた所の使用可能下限温度-14℃と-21℃と比べれば、 三度の違いしかありません。 Fine Track 社が今回のリニューアルモデル発表に際して、 「保温・快適性をブラッシュアップ!」(リンク先ページ下方、スリーピングバッグの項目) と言及していることに鑑みると、 新しいシュラフは従前のものに比べて機能が向上しているはずです。 そして従前モデルと見比べて、明らかに機能が向上している、と言えるのはエクストリーム温度を基準とした場合のみです。 (リミット温度基準であれば12〜14度低下、コンフォート温度については基準なし) つまり従来表示されていた「使用可能下限温度」なるものは「使用可能下限」から連想されるリミット温度ではなく、 実はエクストリーム温度(極限温度)相当のものであったと言うことができそうです。 リミット温度とエクストリーム温度の差は少なく見ても15度超。 mont-bellの商品、ダウンハガーで言えば2モデル分も異なります。 なかなか凄まじい「若干の寒さ」です。 もちろんEN規格とファイントラック自社規格とでは試験方法が異なり、 EN規格では「thermal underwear(厚地のシャツとタイツで構成される寒冷地向けの温熱下着。long underwearとも言う)」を着用して測定するのに対し、 ファイントラック自社規格では下はタイツ一枚、上は4レイヤー(薄地の2レイヤーとフリース、ミッドシェル)を着用して測定しています。 それによって差が生ずるとしても、15℃(オレンジ)や17℃(レッド)という大差が生じるとは考え難く、 やはり「使用可能下限温度」とはリミット温度相当ではなく、エクストリーム温度相当のものと考えられます。 では、エクストリーム温度とは何者なのか。 これについてはモンベルの説明が一目瞭然でしょう。 エクストリーム温度、それはリスク温度域のことであり、 「近づくにつれ低体温症を引き起こす恐れが高まり、場合によっては死に至る恐れがあるため非常に危険」な温度です。 いわば使用者によっては死の危険すらある、極限耐久の温度なのです。 そして、モンベルでは「この温度域での使用を推奨していません」。 しかし、ファイントラックでは「この温度域」に近しい温度が使用可能なものとして表示されていました。 今回明らかになった「若干の寒さを感じながらも」の含意、使用可能下限温度の意味とはそういうものでした。 もちろん、各社の注意書きの通り、耐寒性は個人の体格や装備、気候によって異なり、一概に言うことは出来ません。 ヨーロピアン・ノームが浸透した現在も、イスカ社のように自社独自基準での測定を守り続けている会社もあります。 しかし、低体温症のリスクが存在するエクストリーム温度相当のものを、 下限とはいえ「使用可能」等と称して売り出すことは通常では考えられないことですし、 また登山用品・クライミングギアという人の生命を預ける道具を生産・販売する会社が行うべきこととも思われません。 今回の2018年秋冬モデルの発表があった平成30年(2018年)8月31日まで、私は間違いなくファイントラック社のファンでした。 スキンメッシュの圧倒的な撥水性に見せられ、カミノパンツの軽快さに感激し、レイヤリングの概念を革新していく同社の開発姿勢にワクワクする人間の一人でした。 国産にこだわるものづくりと、フィールドでの実証を大切にした製品に憧れを抱いていました。 しかし、命を預かる道具をつくる会社が、このような優良誤認表示(景品表示法第5条第1号違反)紛いのことをすることは到底肯んずるものではありません。 いまや憧れはなく、神戸製鋼や日産自動車の引き起こしたデータ偽装事件に接した時と同じく、崩壊する安全神話に呆然とし、裏切られた信頼に怒りを覚えています。 ファイントラック社が、これまでの「使用可能下限温度」の表示について十分な措置を取らない限り、今後同社の商品を買うことは一切無いでしょう。 この記事をもって、納得のいく説明を求めると共に、本記事の論旨が誤解でない場合には猛省を促します。 ※参考:従来商品の使用可能下限温度チャート (思い返してみれば、この当時からポリゴンネストは性能表示に比べて「寒い」という評価があり、評判が立っていました…)
by katukiemusubu
| 2018-09-03 19:14
| 登山・トレッキング・温泉
|
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