シェリーカスク。 それはウイスキー熟成用の樽として、歴史的に長らく珍重されてきた存在です。 今回はその材質を巡るお話と、それが故に引き起こされている樽不足についてのお話。 解説記事をものします。 酒精強化ワインの代表例と言えば、やはりスペインの「シェリー酒」。 ポルトガルの「ポートワイン」、大西洋の島嶼で作られる「マディラワイン」と並んで三大酒精強化ワインとも称されます。 ウイスキーの熟成はこのシェリー酒(シェリーワイン)の酒樽に偶然入れたことから始まったとされており、シェリー酒を詰めていた酒樽「シェリーカスク」とウイスキーとの縁は切っても切れない関係です。 しかし実際に飲まれる「シェリー酒の熟成樽」と、ウイスキーの熟成に用いられる「シェリーカスク」が、実は違うものであることをご存知でしょうか。 一般的な「シェリー酒の熟成樽」にはアメリカンオークが使用され、いわゆる「シェリーカスク」にはスパニッシュオークが使用されています。 前者と後者では樽に用いられる木材が異なるのです。 これはそれぞれの木材の材質が持つ個性によって引き起こされた違いでありました。 シェリー酒は、ソレラシステムという一つの樽に新しい原酒を継ぎ足していく手法で熟成がなされます。 その熟成期間、つまり樽の使用期間は非常に長く、ものによっては百年を超える使用期間が見込まれます。 こうした長期熟成を前提とすると、樽の木材にはできるだけ個性が少なく、樽の味が強くなりすぎない様な木材が欲しいところです。 ところが、スペイン原生の樽材=スパニッシュオークは、多孔質でタンニンを多く含む個性的な木材です。 これでは樽の影響が強くなりすぎ、醸造酒であるワインにとっては酷な状況となってしまいます。 そのため伝統的に、スパニッシュオークの使用はシェリー酒製造業者に忌避されてきました。 では、どこの木材が良いのか。 元々は北欧のものを輸入していた様ですが、次にスペイン人が目をつけたのはアメリカでした。 アメリカ原生の樽材=アメリカンオークは硬質で堅牢。 タンニンも少なく、ほのかにバニリックで超長期熟成に耐えうる存在です。 折しも時代は大航海時代。 スペイン人達は新大陸の征服地(植民地)の帰路に、アメリカンオークの木材を母国へと持ち帰る様になります。 こうしてアメリカンオーク製の樽が、シェリー酒の主たる熟成樽となっていきました。 その流れは連綿と現在へと続いており、特にタンニンが嫌気される辛口シェリー(フィノなど)の製造にあたってはアメリカンオーク樽の使用が堅持されています(記事途中のインタビュー参照)。 一方、ウイスキーの熟成に関しては「スパニッシュオーク製のシェリー樽」という一見(存在しないはずの)奇妙なものが使用されています。 これは一体何なのでしょうか。 これは元はと言えば、シェリー酒の製造用・熟成用の樽ではなく、輸出用・輸送用の樽なのです。 ウイスキーの熟成が発見された18世紀の当時、シェリー酒の一大消費地はロンドンをはじめとする英国でした。 当然スペインからイギリスへ向けて、多くのシェリー酒が輸出されますが、産業革命前夜の当時、瓶の大量生産はまだ始まっておらず、輸送容器は木樽がメインとなっておりました。 その輸送用木樽の木材として目をつけられたのがスパニッシュオークです。 現在の価格はともかく、当時のアメリカ産オークはスペイン産のオークよりも高価なものでした。 文字通りの舶来品ですから、輸送コストが大きくかかってしまうのです。 そのためスペインから消費地へ、特にシェリー酒の一大市場であるイギリスへシェリー酒を輸出する際には、熟成用のアメリカンオーク樽から輸送用の安価なスパニッシュオーク樽へと詰め替えが為され、輸出されていったのです。 (とはいえ全くの新樽という訳ではなく、比較的若いワインの熟成に当てた樽を輸送用に用いていた様です。) その(輸出用)シェリー樽の空樽にウイスキーを詰めた結果は、ご存知の通り。 スペインでは忌避されていたタンニンの成分がウイスキーの原酒に奏功し、われわれが知るところの円やかな琥珀色の液体が出来上がりました。 これがきっかけで、ウイスキーの熟成には「スパニッシュオーク製のシェリー樽」が用いられる様になります。 いわゆる「シェリーカスク」の登場です。 タンニンとシェリー酒の香気。それが麦の蒸留酒と結合することで生み出される熟成という魔法。 これを実践し保持すべく、ウイスキーには「シェリーカスク」の使用が必須に近いものとなりました。 19世紀創業のマッカラン蒸溜所などは、その生産モルト原酒の殆どを「シェリーカスク」で熟成しており、その影響のほどが伺えます。 しかし時代の進展と共に、状況にも変化が訪れます。 一つは、バーボン樽やワイン樽といった他の香気を含んだ樽の登場。 今一つは、アメリカンホワイトオーク樽やフレンチオーク樽、ミズナラ樽といった新樽の再発見。 そして、「シェリーカスク」の減少、樽不足の深刻化です。 元々、輸出用の安価な樽であったスパニッシュオーク使用の「シェリーカスク」ですが、樽詰め輸出の衰退に伴い、そもそもの絶対量が減少し、熟成用の樽として数を確保することは難しくなっていきました。 簡便で小回りのきく瓶(ボトル)での輸送がメインとなり、また原産地保護のためにも(名称偽装の疑いが生じやすい)樽買いは問題視され、そもそも樽に詰めて輸出する要請が薄れてしまったのです。 結局、1981年に「シェリーカスク」に詰めたシェリー酒の輸出は禁止されました。 とはいえ、ウイスキーの熟成には「シェリーカスク」は欲しいところです。 自然に手に入るものではないのなら、いっそ作ってしまえば良い。 ある意味、発想の転換とでも言うのでしょうか、この状況を受けた蒸留各社はシェリー酒の醸造各社に協力を仰ぎ、人為的に「シェリーカスク」を調達する様になりました。 つまり、わざとシェリー酒をスパニッシュオーク樽に詰めてもらうことで「シェリーカスク」を作る試みです。 マッカランのHPの解説にも記載がありますが、マッカランでは木材の買い付け段階から樽づくりに関与し、スペインのシェリー酒醸造所にマッカラン専用レシピのシェリー酒を詰めてもらい、2〜3年熟成させ、自社専用の「シェリーカスク」を調達しています。 日本の蒸留会社では、サントリーが同様に木材調達段階からの「シェリーカスク」作りを行っていることで知られています。 マッカランはこれをシーズニングカスクと称していますが、この工程をシーズニング(味付け)と称するあたりが、蒸溜所と醸造所の違いでしょうか。 シェリーの醸造所にしてみれば、この過程こそがシェリーの酒造りの本体であり、決して樽の味付け工程ではないのですから。 この「専用レシピ」のシェリー酒がその後、どうなるのかが気になるところですが、さすがに捨てるとは考えられず、おそらくはブランデーの材料としたり、ソレラシステムの利点を生かして通常のアメリカンオーク製のシェリー樽へとブレンドされ、商品化されているのではないかと想像します。 現在では、世界的なウイスキーブームに伴い「シェリーカスク」の枯渇が叫ばれていますが、その裏側にはそもそも樽を一から調達しなければならなくなった上記の様な事情が絡んでいるのです。 バーボン樽やワイン樽の様に、実際の熟成に用いたものを買い受ければ良いのではなく、ウイスキーの熟成に適した(スパニッシュオーク製の)シェリー樽を作ってもらわなければならない。 しかも、それは樽のために(一時的にせよ)飲まないお酒を仕込み何年か待つという非経済的・非効率的な手法となってしまう。 ふんだんなシェリーカスク熟成を誇ってきた王者マッカランでさえ、最近ではバーボン樽原酒を混ぜた商品を出したり(ファインオーク)、アメリカンオークのシェリー樽原酒を混ぜた商品を出したり(ダブルカスク)している事を考えると、樽不足は本当に深刻な様です。 醸造各社と蒸留各社のコラボレーションによって生み出される「シェリーカスク」。 その由縁に思いを馳せて飲むと、ウイスキーを飲むことが一層意義深くなるのではないでしょうか。 【追記】 日本におけるシェリー酒の泰斗的な存在である中瀬航也氏(五反田 Sherry Museum(シェリーミュージアム)館長)の著書「シェリー Unfolding the Mystery of Wine Culture」(2017年、志學舎)を読んでいたら興味深い記述がありましたので、これを紹介させていただきます。 第24話「スコッチ・ウイスキーの熟成にはシェリー樽が用いられてきた」(p.209〜p.242)によれば、シェリーには輸送樽というものはなく、古樽(シェリー酒の製造・熟成に使用した「アメリカンオーク製のシェリー樽」)がそのまま輸出・輸送にも用いられてきたということでした。 氏によれば、この記事で追いかけてきた「スパニッシュオーク製のシェリー樽」というものは、輸出用のものとしては存在せず、1980年代以降に登場したものだとされています。 一方でウイスキーの本場である英語圏の記述を追ってみると、ソレラシステムに用いる樽(古樽)とは異なる存在、輸送樽(transport casks)の存在が言及されており、その使用はシェリー酒がイギリスで珍重され始めた16世紀から始まった慣行(practice that started in the 16th century)に遡るとされています。 同様の記述を採用する論文(「Sherry Casks in The Whisky Industry」、PDFへの直リンク)もあり、これによれば当時の輸送樽は「Most of the time they were relatively young casks made of cheaper, local European oak.(たいていの場合、ごく短期間の熟成に用いられた地元のヨーロピアンオーク(安価なスパニッシュオーク)製の樽が用いられてきた)」という事なのです。 では、中瀬氏の言うところの"輸送樽不在論"は嘘八百の誤りなのか、と問われるとそうとは言い切れません。 というのも、中瀬氏はシェリー酒の大家であり、現地でのベネンシアドールの認定も受けている人物です。 著書の参考文献一覧にもあります通り、氏はスペイン語をはじめとする多くの文献を踏まえた上で本を書かれています。 そして上記の議論もまた、氏の研究や参考とされた文献に基づくものであるのです。 それを踏まえた上で嘘をつく必要は全くなく、おそらく氏の書かれたことも一つの事実なのだと思います。 それでは、なぜこのような違いが生じたのか。 ありうるとすれば、スペインで語られる「シェリー樽の歴史」と英語圏で語られる「シェリー樽の歴史」が食い違っており、このようなアンビバレンツが生じたものと想像いたします。 どちらの語圏においても、当時の英国に流入していた「シェリー樽」によってウイスキーの熟成が始まったことには争いがないのですが、その「シェリー樽」とは何者であったのか(輸送樽か古樽か)については、言語圏によって"語られる歴史"が異なっているのです。 そもそも本記事はダブリンのティーリング蒸溜所(TEELING WHISKEY)の方から伺った話をもとに記載いたしました。 そのためゲール語圏を含む広い意味での英語圏においては、本論のような「輸送樽から味付け樽へ」の歴史が支配的見解であると思われますが、こうした歴史の違いがあることは面白く、両論併記の形で紹介させていただきました。 どちらが正しいのかという事は言語圏での"歴史"が異なる以上、当時の樽を確認しない限り検証困難なものと存じますが、現在の「シーズニングカスク」を形作った「シェリー樽」とは何だったのか、歴史のミステリーとして興味深いものです。
by katukiemusubu
| 2019-03-02 00:22
| 生活一般・酒類・ウイスキー
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